退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「誰もが平等に課された『限界』を描くことと『女子の気持ち』と『闘争のリアル』あるいは思いがけない『拾い物』」について

2020-08-11 02:34:47 | Weblog
晴れ。猛暑日。

酒井順子「駄目な世代」を読む。

「バブルのチャラさ」が「大人になること」を邪魔して。
とはいえ「昔の大人」は「それなりの顔をすることが上手なだけ」だったり。

ある意味「正直な告白」だと思えばよさそう。
「大人であること」を過剰に意識するのが「子ども」であることも含めて。

誰もが「自分が生きた時代の制約」からは逃れられないのが事実。
その意味でむしろ本書はその「限界」を明らかにしていて「好ましい」。

「負け犬の遠吠え」とは違ったかたちで「特定の歴史」を描いているような。
著者の本領は「『沈んだ場所』から見える景色」を見せてくれること。

そもそも「わが国の在り様」が「子ども」で。
「判官贔屓」などしていられるのがその「証拠」だと思って頂いて結構。

「死ぬか生きるか」のギリギリに迫られたら
否応なく「生き延びる手段」を求めるのが「リアルな反応」のはず。

「負けた者への共感」以前に「勝った者への対処」が優先される。
さらには「勝ち組への便乗」も合わせて。

そうした「闘争のリアル」は残念ながら失われて久しい。
よくも悪くもこの「原理」に変わりはないはず。

そこで「倫理を示すことが出来る者」は限られている。
誰もが「ヒーローもしくはヒロイン」にはなれないのでよろしく。

例えば「松田聖子に憧れる女子たちの気持ち」は
「圧倒的に男子優先の社会の抑圧を受けている女子の気持ち」なのだろう。

森淳一「見えない目撃者」(’19)を観る。

オリジナルはアン・サンフン「ブラインド」(’11)。
すでに監督自身の中国版リメイク(’15)もあって。

テレンス・ヤング「暗くなるまで待って」(’67)を知っているかどうかで評価が変わる。
主演はかのオードリー・ヘップバーン。

吉岡里帆の「盲目の演技」といろいろな表情がなかなか。
田口トモロヲの彼女を支える定年間近の刑事の姿も同様に。

「家族に捨てられた女子高生」を被害者にしたのが「わが国流」か。
彼女たちは仕方なく家出してネットカフェで暮らし風俗に。

犯人の「六根清浄」は「醜い現実」に自らの「グロ趣味」が重なった結果。
そうした人物ならいかにもありそうな「儀式」も。

オリジナルを観ていないので微妙だけれど「よく出来た作品」。
主人公が犯人に追われる中でもう一人の目撃者が携帯の映像を元に彼女を逃がそうとする描写よ。

ポイントは「盲目」になった彼女が「一番現実を知っていること」だったり。
そこにある種の「社会批判」を見てもいいはず。
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