退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「判断力のあやしさとアベノミクスの総括あるいは評価が高すぎる映画」について

2024-09-15 03:42:48 | Weblog
晴れときどきくもり。風に秋の気配が。

「ラ・ロシュフコー箴言集」読了。

後半は「考察」で文章に。
もっともその本質は変わらず。

「趣味について」の記述にふむふむ。
「à chacun son goût=蓼食う虫も好き好き」ではあるけれど。

「劣化」が激しい現在においては。
それが本当に「好き好き」なのかを確認したくなる次第。

誰かもしくは何かに「操られていないのか」。
一番あやしいのは「自らの判断力」くらいに思うのが穏当かも。

マル激を観る。

ゲスト大沢真理の指摘の真っ当さにうなずくのみ。
「アベノミクスの基軸」は実は「生活保護の削減」だと。

「日本維新の会」の橋本徹は大阪でかつて同様なことをして。
さらには「保健行政の縮小の結果」がコロナ禍においてわが国最大の被害をもたらし。

「生活保護を受ける者=怠惰な人々もしくはズルい人々」という宣伝が横行。
そもそもそれが「人権」であることも無視して。

何より現在国民の6割近くが「生活が苦しい」と言っているにも関わらず。
そのことについて誰も触れない「自民党総裁選の愚」たるや。

「少子化対策」とやらも何の効果もなく。
むしろ少子化が加速している事実を知っておこう。

圧倒的に貧しい現実をもたらした政治家たちにはもっと「怒り」を。
貴様ら如きの権益などどうでもいいから退場せよと言わないとどうにも。

ジュスティーヌ・トリエ「落下の解剖学」(’23)を観る。

152分という長さも含めて。
本作が評価される意味が不明。

法廷が「真実を明らかにする場」ではないことを描くのはいいとして。
悪いがそんなことは「常識」でないといけないだろうと思うのみ。

「夫婦の対立」についても同様。
「現実のコミュニケーションの無さ」がこうした描写を「真実」だと思わせる仕組み。

「事故で盲目になった息子」を登場させるのはむしろ「あざとく」。
「子どもに責任を負わせる」とは何事か。

かくも「現実」は酷いのだと言いたい模様。
このパターンは「昔の告発型ドキュメンタリー」に似ている。
コメント
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