退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「どこまでも『世界』を認識できないわれわれと好ましい監督のデビュー作を観直すこと」について

2020-08-13 02:35:59 | Weblog
晴れ。まあ暑い。

坂井克之「心の脳科学 『わたし』は脳から生まれる」を読む。

12年前の作品ということもあるけれど。
「センス・オブ・ワンダー」がない上に量が多すぎて。

とりあえず「脳」が「現実」を組み立てていることをあらためて。
要は「どこまで行っても『本当の現実』」はわからない。

「推測と圧縮」によって「歪められた世界」しか認識できない模様。
われわれの脳がそうしたものだから仕方なく。

結局「いろんな見え方をする『世界』」を持ち寄って
せいぜい「こんな感じかも」というくらいが適当なのかも。

「どうでもいい『わたし』」が氾濫するようになって久しい現在において
あらためて「自らの限界を意識した謙虚さ」が求められるところ。

著者はちょいと「調子に乗った」やもしれず。
「描写の経済」にもう少し敏感であってもらいたかった次第。

大林宣彦「ハウス」(’77)を数十年ぶりに再見。

この映像と描写は現在においても十分に「オシャレ」。
原案の大林千茱萸(ちぐみ)は監督の娘で当時12歳の中学生。

池上季実子(オシャレ)、大場久美子(ファンタ)、松原愛(ガリ)、神保美喜(クンフー)、
佐藤美恵子(マック)、宮子昌代(スウィート)、田中エリ子(メロディー)の7人の女子高生。

当時は神保美喜に魅力を感じていたか。
池上季実子と松原愛が裸体を見せるのは忘れていた。

尾崎紀世彦、笹沢佐保、小林亜星、三浦友和に鰐淵晴子。
監督夫妻や娘、脚本の桂千穂、石上三登志、壇ふみにゴダイゴまで出ていて。

「フーテンの寅」や「トラック野郎」も出て来る「サ-ビスぶり」よ。
南田洋子の「おばちゃま」もまだ若く。

本作に「戦争の影」があることも忘れずに。
助監督に小栗康平の名前があることも覚えておこう。

監督は今年4月に彼岸へ。
あれこれ楽しませてくれてありがとうという気持ちになる。
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