退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「何度も『老人力』を発揮することあるいは『男女のどうしようもなさ』を描いた映画」について

2020-08-14 02:10:34 | Weblog
晴れ。今日は少し蒸す。

山田宏一映画インタビュー集「映画はこうしてつくられる」を半分くらい再読。

またまた「老人力」を発揮した結果。
とはいえ面白いからかまわない。

アンドレ・バザンが批評家としては立派だが創作は全くダメだというのにふむふむ。
人それぞれに「得意分野」があるということで。

本作はまた後で読むことにして。
明日は「ラ・プラタの博物学者」の続きを読むつもり。

川島雄三「洲崎パラダイス 赤信号」(’56)を久方ぶりに再見。

「ヤクザな男女の姿」があれこれ。
新珠三千代と三橋達也の「どうしようもなさ」よ。

轟夕起子の居酒屋のおかみと女と逃げた夫の植村謙二郎も同様に。
そこにラジオ商の河津清三郎や蕎麦屋の娘芦川いづみが絡んで。

若いトラック運転手の牧真介とまだ客を取っていないという若い女のカップルも。
小沢昭一の何とも呑気でダメな蕎麦屋の出前持ちなど。

今となっては「昭和の一時期の東京の姿」の記録としても貴重か。
勝鬨(かちどき)橋が「境界」になっていて。

とりわけ植村謙二郎の「末路」が趣き深く。
「ヤクザ」は結局「カタギのしあわせ」を掴めぬまま。

時代は「売春防止法直前」。
「神田のラジオ街」が「秋葉原」であることも覚えておこう。

成瀬巳喜男の「浮雲」は本作の1年前で。
「スケール」の違いはあれど「よく似た内容」。
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