退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「瀬々のあじろぎ」について

2012-10-11 02:56:25 | Weblog
晴れ。シャツを長袖にする。

上野千鶴子「女ぎらい ニッポンのミソジニー(私注・女性嫌悪)」を読む。

著者が今さら吉行淳之介を採り上げ叩く理由には
「女好き=実は女ぎらい」を示す以上のものがあるように感じられてしまう。

勘違いだったら申し訳ないと頭を下げるよりないが
「吉行淳之介」という「ブランド」が通用するのは一定の年齢以上に限られるだろう。

「典型」としてというのはわかるけれど
ひょっとして彼の名前がある種の「伝説」として案外流通している「現実」があるのか。

そうした「前提」にいささか疑問を感じたものの
「いまだにその種の現実があること」をひしひしと感じているせいなら納得。

女子は今のところ「自分の承認」と「男からの承認」の間を生きるよりないらしい。
否が応でもそういう「環境」にいるのだと。

一方男子は「仲間からの承認=ホモソーシャル」を優先していて
「男として認められるため」に「男以外のものを排除する」というのはわかりやすい。

「東電OL」の「男を値踏みするための売春」という解釈にはなるほど。
ただしそこで「個人」でなく「男一般」に行ってしまうのが残念。

「身近」に理解者がいないとついつい「遠くを見る」のは人の常ではあるけれど
いずれ「島宇宙」ならお互いにそこそこ我慢しながら付き合える関係が望ましい。

もっとも「貨幣で時間を消すこと」に慣れたわれわれは
ついつい「即座の結果」を求めがちで。

さらには「理屈」で納得したはずのことを自らが「裏切る」のもよくあること。

「自分という他者」にもくれぐれもご注意を。
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