退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「好ましい人格と付き合うこと」について

2016-01-21 02:27:51 | Weblog
晴れ。朝方に降った雪が残る。

カール・ポランニー「市場社会と人間の自由」を半分くらい読む。

意味がわかる部分とそうでない部分があれこれ。
統計で「生産手段」は見通せても「欲求と労苦」については見通せないと。

今となってはそうでもないかもと思いつつ。
当時の「統計=産業に関するもののみ」という意識が垣間見えた次第。

「商品と貨幣」だけの付き合いでは「人格的な交わり」がないというのにふむふむ。
そもそもそうしたい相手がそんなにいるのかという問題もあり。

もっとも「顔の見える範囲」で暮らせば現在でも可能で
そういう「小さな集団」が増えることは重要。

「リアルゲーム」としての「街づくり」を考えたときに
近所に信用できる肉屋、魚屋、八百屋、米屋、パン屋などがあるといいかも。

喫茶店や飲み屋を代表とする「集まれる場所」も必要だろう。
気心の知れた仲間になれれば幸いということで。

ある意味「閉じられた空間」ではあるけれど
どうやらそこから始めるしかない模様。

出来る限り「好ましい人やモノ」を集めること。
その「好ましさ」が互いに合えば。

各地でそういう動きがあってそれがさらに重なること。
「遠回り」だとしてもじっくり確実に。

さらに繰り返すが「人材」を見逃したくないもの。
おそらくは「埋もれている人々」がいるはずなので。

「役割分担」をしながらゆっくりと「前」へ。
「腰を据えてかかる」態勢をととのえて、いざ。
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