退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「市場とザル法と震災あるいはバー」について

2016-01-23 01:28:41 | Weblog
『晴れ。風はなし。

「市場社会と人間の自由」読了。

「市場」というものが実は歴史的に限定された存在であること。
そしてそれが人々の自由を奪うものであるかもしれないこと。

われわれがあくまで「自由を望む者」であるなら
それを基本に生活や社会のあり方をあらためて見直してみるのもいいはず。

「安楽な生活」を「当然のもの」とするのを「最低限」として
そこから周囲を見回して考えてみる機会は必要。

わが国ではとかく「余裕」がなさすぎる。
「仕事」しかできない人生を振り返ってみてはいかが。

深夜国谷裕子のいなくなった「クローズアップ現代」を観る。

「内部告発者」については「公益通報者保護法」があるものの
辞職してからの告発は認められず告発された側の「報復」についても罰則がなく。

専門の行政機関もなければ専門家もいないというありさま。
こんな役に立たない法律をいったい誰が作ったのだろう。

敢えて危険を承知の上で「悪事」を告発した者が
いたずらに報復に苦しむのみだなんて。

「正直者がバカをみる」ことを放置していると
「生活を守るため」に誰もが「悪事」を見逃し続けることになるのは必定。

すでにわれわれの社会は「底が抜けている」という事実を認めることがスタート。
「平気で悪事を働く人々」を前提に対処しないと。

ここでも「昭和幻想」がはびこっている。
かくも「現実認識」が難しいことは知っておきたいもの。

引き続きNHKスペシャル「震度7 何が生死を分けたのか」を観る。

阪神淡路大震災における「圧迫死」は「窒息死」であった模様。
肋骨が折れない程度の圧迫でそれは起きてしまうのだと。』と書いて昨日は寝る。

晴れ。冷える。

本は読んだものの今ひとつ。
敢えてどうこう言わない方がよさそう。

クインビーのマスターにメールを打つ。

おそらくは片付けその他でゴタゴタしているはず。
落ち着いたら会いましょうという内容。

明日は老舗バー2回目の予定。
とりあえずジンのボトルを入れて飲むつもり。

ボトルが原価というサービスなので
それ以外にどうやって儲けるのだろうといささか疑問。

食べ物はあまりなさそうなので
合間にショットでスコッチを頼むことにするか。

ただ昔ながらのせいか椅子に背もたれがないので
常に「正気」でいなければならないのはいいのか悪いのかといった感じ。

まああれこれ思うより行けばわかる。
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