退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「美人と廃人」について

2013-01-25 02:17:13 | Weblog
晴れ。あたたか。

井上章一「美人コンテスト百年史」を読む。

オリジナルは20年以上前に出ている模様。
いわゆる「ミスコン」の歴史を追ったもの。

そもそもは「写真」で選ばれた「玄人」のみだったが
やがて「水着審査」も加わり「素人」が登場するようになったと。

「性の商品化」うんぬんというフェミニズムの「抗議」よりむしろ
「何でも商品になる」という「資本主義」のなせる業と考えるのが妥当らしい。

いずれもアメリカの影響による面が大きく
今となってはそのことさえどうでもいいほど「美人」は「金になる」こともあり。

もっとも「美女」あるいは「美男(イケメン)」はいささかインフレ気味で
わが国ではますます「低年齢化傾向」にあるのは間違いない。

一般的には「神秘」から「身近」へということでまとめてよさそう。
それが好ましいかどうかはまた別の話ではあるけれど。

さて。

人は質・量ともに自らの能力を超えた情報を与え続けられると
防衛反応として「魂を飛ばす」ようになる。

それはほぼ「拷問」であるという「事実」が
「他者の願い」や「利益のため」に無視される「現実」もあったり。

その結果当事者は外界に対する反応を鈍らせ一種の「廃人」になる。
彼あるいは彼女は「学習能力」を麻痺させることで「生き延びる」だけ。

なるほど「現実」はヘタなSFより怖ろしく
今現在進行中だったりすることも覚えておこう。

「可能性」という言葉を量でカバーすることは
まさに「人生を大きく変えること」にもなる。

「頭の悪い大人」が「有害」である理由はそこにあるのだ。
コメント
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