退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

ちょいとロマンチックに

2009-12-10 03:48:35 | Weblog
酔いのまぎれに。

「オーメン2」という映画の中だったか。
悪魔の息子ダミアンは一度だけ「Why me?」と叫ぶ。

「どうしてわたしが」という思いはあちこちにある。
かつてはそしておそらく今も一部で宗教がその理不尽さを解決している。

曰く、「前世の因縁」「来世の極楽」。

実はいずれも「現世の生きがたさ」を解消しようとしているにすぎない。
すべては「偶然」がもたらすものだけれど問題を抱えた人の一生は一度だけ。

おそらくそこにはある種のタコ壷があり
世界の中には同じ苦しみを味わう人々がいる「事実」を見失っている。

どうしようもない視野狭窄が
どうしようもない思いをいたずらに駆り立てる。

不幸であろうと悲劇であろうと
自分以外の何かのせいにすることを「帰属処理」という。

どうして「この私」は「この私以外のもの」ではないのか。
「この私」は肝心の「私」にもわかっていないにもかかわらず。

その「私」を引き受けるより仕方がない。
未知の不安と希望を互いの糧として生きるということ。

セラヴィという台詞は
それぞれの「実存」の中で確かめられていくはず。

だって「私」はそうなんだもの。

そうした「実験」が積み重なるうちに
やがてどこかで道が重なることもある。

そこで得た「充実」はほとんど「幸せ」と呼んでもいい。
いたずらな「自立」はただの「孤独」にすぎないことも知ろう。

もちろんいたずらな「連帯」は控え目にして。
まだ見ぬ「出会い」は「未来」がなくなるまで存在しつづける。
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たまたま商家に生まれるということ

2009-12-10 00:33:25 | Weblog
晴れ。おだやか。

「戦後日本スタディーズ② 60・70年代」読了。

北田暁大の文章も悪くないけれど
圧倒的に面白いのは田中美津のインタビュー。

二部の上野千鶴子との「対談」は思わず続けて二度読んだほど。
ウーマン・リブを始めた彼女には人をひきつける魅力がある。

「私、いまだにボーヴォワール読んでない(笑)」と言うのもいいが
「勉強ができないだけがバカじゃない」と言った彼女の母親はエラい。

頭から入ってくるものを信用せず
身体感覚で自信を持って判断できる「健全さ」がいいのだろう。

おそらく「商家」という場所はそういう「健全さ」を育てる場所で
そういう「知性」は今後是非とも必要なものになるはず。
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