退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

無根拠に飛ぶという陶酔について

2009-12-22 02:52:53 | Weblog
深夜。

テレビで「ナンバーズ/天才数学者の事件ファイル シーズン1」を観る。

エグゼクティブ・プロデューサーに
リドリーとトニーのスコット兄弟の名前がある(どちらも有名な映画監督)。

「インデペンデンス・デイ」に出ていたジャド・ハーシュが似たような父親役。
「アリー・マイ・ラブ」の曲者ピーター・マクニコルもいかにもな怪演。

数字の持つ性質に敏感な数学者の弟が
FBIの兄の捜査に協力して事件を解決するという設定。

今回は「フィボナッチ数列」と「黄金比」に関する知識がラストに少々。
「自然が語りかけるコード」として理解する数学は楽しい。

法則を見つけるのは科学の特徴。
それは「神」を見つけるのに似ていて宗教的な行為でもある。

どこまでも未知な世界に向き合う時、
人は自らの限界を知りつつ束の間の安定に酔うもの。

そして只ならぬ不安とあふれる期待にゆれながら
「生の飛躍」を果たすのだ。
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塞翁が馬

2009-12-22 00:26:57 | Weblog
晴れ。やや風強し。

本が切れたので内田樹「下流志向」再読。

「消費」によって幼い頃に「自立」した子どもたちは
あらゆることに対して「等価交換」を求める「消費者」の立場に立つ。

事前にその「価値」を確かめ「品定め」をし、
貨幣の交換のように時間を置かずすぐに「結果」を求める。

元々数値で測れず結果も確かではない「教育」は
そうした視点からすると「無価値なもの」と判断されやすい。

自分以外のものに関心を持たないまま
外部の価値ではなく「自分探し」によってあくまで「自分の判断」を優先させる。

もっとも「経済」にとって子どもが「消費主体」として変わらないことは
非常に「都合のいいこと」でもあるという面もあって。

アメリカとの戦争に負けたかつての大人たちは
「経済」の世界で勝利を収めたかに見えたけれど。

彼らの孫たちは「未来の自分」に投資することもできない「貧しさ」の中、
「不快」を「貨幣」とした「取引」のみ上達した。

さてその後は如何に。
というより、われわれには何が出来るのだろう。
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