退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

生産をしないまま消費者になるということ

2009-12-12 00:21:40 | Weblog
雨のちくもり。寒くはなく。

内田樹「下流志向」を読む。

幼い頃から「消費者」として自立した子どもたちは
教育を「商品」として受け止めている。

彼らが身につけているのは「等価交換」という形式で
「苦痛に耐えられる時間=不快という貨幣」に見合うだけ「苦役」に耐える。

彼らにとって「すぐに手に入らないもの」には意味が感じられず
具体的に「成果」を計ることのできない教育は「つまらない商品」になる。

「何のために勉強するの?」という質問は
まさに彼らがすぐに手に入れられない「対価」に否定的であることを示している。

さらに「本当の自分」というのは実は他人の評価によって明らかになるはずだが
いたずらに「個性」を尊重する教育は「内発性」を重視して子どもたちを「内向き」にさせてしまう。

だから彼らは自分が意識しないものの存在を平気で消して「ないこと」にする。
「わからないこと」があっても無視すればそれですむ。

めんどくさくなってきたのでここまでにするけれど
大雑把に言えば前半にはそのようなことが書かれている面白い本。

最後に「質疑応答」が載っていて
質問者がほとんど著者の意見を理解していないというオチが笑えるので是非。
コメント
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