これまでに4回、ヨーロッパアルプスへスキーに出かけました。
いつもスキーだけのツアーだったので、いわゆる都市部の観光は一度も経験がありません。
そこで今回は村里敏彰さんに観光の機会もお願いし、インスブルックへのショートトリップを組み込みました。
3月7日、スキーを早めに切り上げホテルで着替えた後、サンアントン駅へ向かいました。
15時過ぎの電車に乗って、インスブルックへ。
乗車して1時間あまりでインスブルック駅に到着。
ここは、インスブルック大学で学んだ村里さんにとって第二の故郷のようなところ。
村里さんは生き生きとした笑顔で街を歩いていました。
私は村里さんのあとを追いながら、見慣れない街の様子をキョロキョロと眺めながら歩いていました。
駅からしばらく歩くと、小さくとも威風堂々とした凱旋門がありました。
凱旋門だから何かの戦勝を記念して建てたのかと思っていたら、1774年に皇帝の婚姻を記念して建立したとのこと。
凱旋門がある交差点を右に曲がると前方に目指す旧市街があり、その先にアルプス・ノルトケッテ連峰を望むことができました。
路面に1905年に開通したトラムの線路があり、石造りのバロック様式建築物にヨーロッパの歴史を感じました。
マリア・テレジア通りの中央に柱があり、「なんだろう?」と近寄りました。
敵軍の侵入を撃退した戦勝記念として1706年に建てられた『聖アンナの記念柱』でした。
この記念柱の背景にアルプス・ノルトケッテ連峰を組み合わせた景観は世界的に知られているようです(私は知りませんでしたが・・・)。
ノルトケッテ連峰とインスブルックの建物との組み合わせは、とても絵になります。
ここで皆さんと記念撮影。
旧市街に向かう道路の突き当りに、1496年に完成した黄金の小屋根がありました。
インスブルックで最も歴史のある旧市街の街並みです。
白い建物はハプスブルク家が居住したという王宮『ホーフブルク宮殿』でした。
1463年に建てられ、1754年~73年に現在のバロック様式に改築されています。
イン川に架かる橋『インブリッジ』です。
村里さんが橋を指さしながら、「インスブルックの地名は、イン川の橋インブリッジという意味だよ。」と教えてくれました。
イン橋の傍に、父と息子またはAnno Nineと呼ばれる記念碑がありました。
敵の来襲を見張るチロルの父と息子闘士を描いているそうです。
チロル独立戦争の 100 周年を記念して、1914 年に作られています。
このあと夕食までの約1時間、村里さんは私のために『すみれの花の砂糖漬け』を探し求めて旧市街を駆けずり回ってくれました。
残念ながら見つからず、翌朝、村里さん曰く「虎屋の羊羹を盛岡で探したようなものだった。」と。
つまり、『すみれの花の砂糖漬け』はインスブルックでは売られてないものでした。
夕食は王宮の前にあるシュティフツケラー(Stiftskeller)で。
村里さんが3ヶ月も前に予約してくれてた、伝統的なチロル郷土料理を楽しめるレストランです。
超人気のため、早くから予約しないと入れないそうです。
インスブルック在住のご家族も参加して、楽しいひとときになりました。
インスブルックの中学校に通う男の子に「一番得意な言葉は何語?」と訊ねると、英語とのこと。
そしてドイツ語、日本語の順に3カ国語を話す国際人でした。
私がオーダーしたジャガイモの団子と豚肉のチロル料理。
団子はあまり口に合いませんでしたが、豚肉は最高にデリシャスでした。
シュティフツケラーでの夕食後、電車に乗ってサンクト・アントンに戻りました。
また再度訪れて、チロルの郷土料理を味わいたいと思ったシュティフツケラー。
そして、アルプス・ノルトケッテ連峰と街並みの風景をゆったりと眺めたいと思うインスブルックでした。
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