サンアントンの正式名称は、『サンクト・アントン・アム・アールベルク』。
アールベルク峠にあるサンクト・アントンという意味らしく、オーストリアでは略して『サンクト・アントン』と言われています。
では、なぜ日本では『サンアントン』と言われているのかは不明です。
オーストリア連邦鉄道OBBの『サンクト・アントン・アム・アールベルク』駅。
現在の駅から北に1㎞あまりのところ(写真の山麓)に、かつての駅舎があったそうです。
写真のとおり、ゲレンデ下部は雪解けが進んでいて、スキーコースに雪が残るだけでした。
昔の駅舎が残っています。
ちょうどホテルポストの裏側にあたります。
鉄道が開通して完成した駅の名称が、『サンクト・アントン・アム・アールベルク』。
駅にちなんで村の正式地名も、『サンクト・アントン・アム・アールベルク』になったそうです。
ホテルポストの正面に、サンクト・アントンの村役場があります。
洒落た造形の村役場の正面には、いつも日の丸が掲げられていました。
野沢温泉村と姉妹都市になっているためでしょうか。それとも、我々が滞在していたからか?
役場前の通りは村とは思えない街並みで、ホテルやいろいろなお店が並んでいました。
反対側もご覧のとおり。
宿泊先のホテルポストは、サンクト・アントンで最も古く歴史のある立派なホテルです。
かつて、オーストリアには日本でいうところの宿場町に郵便局『ポスト』があって、そこからホテルの名前にしたそうです。
街の片隅に見つけた木像です。
木像の中央?の人物は『『ハインリッヒ・フィンデルキンド』というらしく、サンクト・クリストフに非営利の宿泊施設ホスピスを建てたとのことです。
日本に出立する前夜もサンクト・アントンのヘルムート・マル村長(向かって左から4人目)がホテルに来てくださり、お土産をくれました。
マグカップとピンバッジ、お酒?
このほかに、サンクト・アントンの各種総計を著した冊子(日本語版)をいただきました。
村長が言っていたように、サンクト・アントンは村内の水力発電により電力を100%自給自足していると、冊子にも書かれていました。
村長は誇らしく、サンクト・アントンは環境に優しい村造りをしていると言っていました。
サンクト・アントンの紋章、何を表現したものかはわかりません。