赤い夕陽⑨ソ連将校たちとの同居の日々
三橋雅子
<たっぷり過ぎる別れのキス>
敗戦間もない新京の町では、わが家を摂取され、間借り暮らしをしている先にもソ連の将校は入ってきて、追い出されこそしなかったが、同居を強いられた。最初はかなり老いぼれの将校二人、喘息持ち風の咳ばらいが聞こえる、陰気なナギバイロと、何を考えているか分からない、やや不気味なニキチン。おとなしく自室に閉じこもって、何かを要求するときだけ出てきて、身振り手振りで何とか用を足す。気持ちの良い存在ではないものの、有難いのは将校と同居している限り、略奪の兵士達に侵入されることが無いことだった。
彼らが引き揚げる時が来た。別れのセレモニーには、先ずあるじの父が濃厚なお別れのキスの洗礼。プッチュン、プッチュンと音を立てて額に、ほっぺたに……と丹念な接吻に、父は悲鳴を上げんばかり。しかし、もう一人の洗礼が待っているのであった。ようやく解放された時には、青息吐息の態、早くタオル、タオル……と洗面所に駆け込んで顔をざぶざぶ洗ってからも、ひとしきり「気持ち悪いのなんの、このベタベタ……全くショウもない奴らだ」、とこぼすことしきり。私たちはおかしいやら、自分の番が思いやられるやら……次々と家族一人一人へ、キスのシャワー……ちゃんと長幼の序があって、最後の一番小さい私はもう十分覚悟はしていたものの、抱き上げられ、息が詰まるほど何度も抱きしめられ、最後の洗礼はひときわ濃厚だったようで、解放された時には、もう顔中ベタベタぐったりの態であった。しかし、念入りな、頬を磨りつけてくる、きついハグの合間に、表情の見えない、象のような皺深い皮膚の奥に潜む眼に涙が滲むのを見て、それがこぼれ落ちて頬を伝わり、私の頬にキスのよだれと混ざって伝わる気持ち悪さに耐えることができた。
ふだん殆ど接触もなく、同じ屋根の下に少々の間過ごした、というだけなのに。永いこと家族と別れて暮らす彼らには、私たちが片言の意思の疎通を頼りに一生懸命作ったカルトッフェル ジョリジョリ(ジャガイモ炒め)や少しでも故郷の味に近づけようとして奮発したイチゴジャム入りのチャイに、そっけなく「スパシーボ」としか言わなかったが、彼らなりに感謝の念を蓄えていたのだろうか。
「敵軍」も老いぼれてただ望郷のチャイに涙すひたすら哀れ
<若い将校たちとの日々>
入れ替わりやってきたのは、若手の陽気な3人組。マレンスキー少佐と大尉のケレオとアリク。年中我々のところに入り浸って、不自由な会話でおしゃべりし、蓄音機を掛け、コーラスを楽しむのだった。彼らがひとたび歌いだすと、見事な男声合唱になって、かの、シャリアピンの声量が「梁塵を動かした」というのがなるほど、とそれほど大袈裟ではなく納得できるほど、そのあたり中が震えわたるのだった。それも日本の男性たちが酔っぱらってガナル、調子っぱずれの軍歌とは雲泥の差、その朗々と響きわたる即興の男声3部合唱の声量とハーモニーの見事さにはうっとりさせられた。あの、時計とお金を片っ端から強奪する野蛮な連中と、これが同じ民族なのか、と解せないほど。
そういえば脱走して帰ってきた兄がある日、感心して外出から戻ってきた。四つ辻で交通整理をしている女警官か兵士が、すごい見ものだから見て来い、という。駆けつけてみると、まず驚いたのは、その時は既に冬で、我々は防寒着に身を包んでいたのに彼女は半袖、ミニスカートで四肢をさらしている。真冬の零下二十度には至らなかったかもしれないが、鳥肌一つ立てないむっちりした素肌に先ず度肝を抜かれた。更に、その凄い演技。ピーッと鳴らしては腕を伸ばしたり足を回しての方向転換、まだ見たこともなかったバレーの原型であったのだろう、その優雅さにうっとりして眺めていた。見る間に人だかりで瞬く間に交通は渋滞、まだ車はほとんどなかったが、交差点は身動き取れなくなって彼女は台から降りた。
我々も、軍歌まみれの日常だったとはいえ、辛うじて知っている「ヴォルガの舟歌」や「ローレライ」など唱和出来るものに、こちらも女性2部や3部を添えて混声コーラスになると、彼らはブラボーと歓喜した。軍歌づくめの日常から解放された私たちも嬉しかった。そのうちロシヤ語の歌詞を覚え、やがて全く旋律を知らない歌も歌詞ごと覚えるようになると、彼らは更に喜んで♪明日は海に出ていく美しい街……恋人の振る緑色のスカーフ……♪と目を潤ませて、哀愁を帯びた歌声も響かせる。“ガルボイ”の緑色に辿りつくまで、この色じゃない、あれも違う、もう少し濃いとか薄いとか、振るプラトークは、さぞかしハンカチだろうと思えば、いや違う違う、と、もう少し大判の、今ならああ、スカーフとかバンダナね、と出てくるところ、当時はそれらになじみがなかったから、大判のハンカチね、ということにしたり、一小節の歌詞を理解するのに時間を要した。哀愁に満ちた歌を身振り手振りで、丹念にその歌詞を解説しながら、黒い目と髪のアリクは涙ぐむのであった。郷里のことを語り、恋人に8年も会っていない、と、はるか遠くに目をやって、「もう誰かと結婚してしまったかもしれない」と言っているらしく、肩をすくめて涙をぽろぽろと流した。こちらは時折分かる単語を連ねて、みんなで想像を逞しくしてああか、こうかと話を繋げるのだった。彼はグルジアの出身で「スターリンと同郷」が自慢。そういえばスターリンの髪も髭も黒い。彼らはドイツ戦線に参加したまま、ドイツの陥落後も戦後処理で留まり、帰還できるかと思いきや、満州に寄らされているのだった。彼らの涙を見て、私は子供心に、戦争って勝った方だって幸せではないんだ、と身に染みて思った。誰が幸せなんだろう?ドイツ戦線でソ連が失った兵は敗戦国よりも多い約660万人(さらに、ドイツの捕虜収容所で360万人死亡)にも上っていた、ということを当時の私は知らなかったけれど、戦争に勝ったって、悲しい人たちはたくさんいるのだ、としみじみ思った。そして戦勝国民として君臨している異国の地の孤独な彼らより、同じ異国で不安の中で暮しているとはいえ、家族一緒に笑ったり憤ったりしている私たちの方が幸せじゃないか、とさえ思った。
どの国に幸せもたらすの?勝つ国も負けるも哀れ兵士の涙