『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』**忘れてはならない事**<2011.11.&2012.1. Vol.71>

2012年01月03日 | 川西自然教室

忘れてはならない事

田中廉

 新年なので明るい話をと思うのですが、困難な状況にある被災者の人たちのことを思うとやはり昨年の東日本大震災と福島第一原発事故について書きたいと思います。

 私は6月に福島県いわき市、11月に岩手県大槌町にボランティアで行きました。ボランティアに行きたいと思う人は多くいると思いますが、受け入れ側の態勢ができていないとそれもできず、思いがあっても参加できなかった人も多いと思います。私の場合は所属する教会とパレスチナの子供の支援団体が現地で活動しており、そのおかげで思いを果たすことができました。6月はがれきの撤去や農作業の手伝いなど、11月は仮設住宅の集会室でカフェ-を開き、私はお茶係で他のメンバ-が編み物指導などで被災者の人たちの団らんの場を作る活動でした。

 大槌町はすでに瓦礫は撤去され、津波に流されなかったビルがいくつか残るだけで、他は建物の土台を残して何もなく、写真で見る原爆投下後の広島のような風景でした。手作業で行うボランティアのやることは、業者の仕事量から見るとわずかなものです。それでも被災者の人たちは非常に喜んでくれます。それは、自分たちのことを心配してくれている人たちがいる、自分たちは忘れられていない、と実感するからだと思います。被害の状況は地域により、また同じ地区でも場所により大きく異なります。

 福島県いわき市では津波に加えて、原発事故の影響が大きくより困難な状況にあります。農作業を手伝ったいわき市の農家の人は、「何年もかけやっと有機栽培の認定をとり、販売ルートの開拓もしたのに、これですべての夢が破れた。」と、嘆いていました。

 大槌町のカフェ-では、多くの人の話を聞くことができました。編み物をしながらの住民同士で、また、昼食で多くの人が帰った後も残っていた、数人の人から被害の状況や、当日の様子、仮設生活の現状などです。その中で80何歳のおばあさんの話が一番印象に残っています。足が悪く杖を頼りに歩いていますが、当日息子さんが車で迎えに来てくれて自分は助かったのですが、そのため、自分より若い奥さんの両親の救出が間に合わず津波で亡くなったのです。「何もできない自分より若い人が助かった方がよかったのに―――」というつぶやきに、かける言葉がありませんでした。

 車で逃げようとして多くの人が亡くなった事実もあれば、車でなければ助からなかった事実もあります。高齢化が進むことより、今後歩行困難な人たちの避難はどうするのがいいのかも、考えなければいけないでしょう。

 被災地の多くで湾岸部が大きく地盤沈下したこともあり、復旧は進んでいません。仕事も激減し、被災者の将来に対する不安は想像にあまりあります。今後の復興には巨大な費用が掛かります。そしてその多くを税金という形で私たちが負担しなければならなくなるでしょう。

 ただ、復興のための税金が、他の減税で消えてしまうのでは何のための税金かわかりません。やるべきことをやって、税金が増えることは仕方ないと思いますが、それは個人も企業も同じように負担しなければいけません。消費税のように、その税額とほぼ同じ額が大企業の減税に使われているのであれば、それは詐欺です。今後も被災地復旧、原発廃止について、税金の使い方も含め関心を持ち続けたいと思います。

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