祝「みちじるべ」第50号の記念誌によせて
世話人 藤井隆幸
「みちしるべ」の創刊号は99年9月発行です。なんと8年余りも続いてきました。創刊号から第5号までは、初代、代表世話人の砂場徹氏が編集長も務めました。今では使われなくなったワープロ(Word Processor)で、総ての原稿を打ち直していました。富士通オアシスという、親指シフトの特殊キー配列のもので、結構指使いは早かったようです。パソコン全盛時代の到来で、澤山輝彦世話人が、第6号から第50号記念誌まで編集長を引き継いできました。
澤山世話人の息子さんは、パソコンの現代先端技術を駆使できるので、その協力も受けながら、長らく編集長を続けてこられました。原稿の端々にカットを楽しんでおられます。とはいいながら、定年退職組みの代表格。細かいパソコン操作には随分苦労されたとのことです。イメージチェンジの良い機会なので、編集長の交代を希望されています。大変な難問を抱えた記念誌号となりました。
ところで「みちしるべ」の題字は、砂場夫人の恵美子さんによるものです。当初は、印刷の度にかすれてきたのですが、澤山さんが息子さんの手を借りて、かすれた題字をスキャンし、鮮明にしたものが現在の題字です。たまに影などつけているのですが、お気づきでしようか。
さて、前川さんに「ゲッ、勤務評定!」と、また言われそうですが。原稿の投稿者リストを作ってみました。一つだけの投稿者22人を除く、ベスト20を発表します。「みちしるべ」の投稿は、編集長の原稿以外は『没』になったことがないのが特徴です。
藤井新造さんの初投稿は第13号(01年9月)で、神崎敏則さんは第25号(03年9月)でこの投稿数ですから、今後に期待される投稿者といえそうです。三橋雅子さんも第6号(08年1月)の「のりもの断章」以来途切れていたのですが、第19号(02年9月)より「熊野
より」の投稿を続けてくれています。「熊野より」の原稿については、私のブログに許可を得て転載させていただきました。それまで1日のブログアクセスが20~30程度だったものが、急に100を超えるようになりました。「熊野の山姥」恐るべし。
次に団体別の投稿者数をカウントして見ました。
何といっても「川西自然教室」の文筆家の多いことに敬服します。「山幹の環境を守る市民の会」が多いのは、黒住先生の追悼文を書かれた人が多いためです。黒住先生自身も4本の投稿をされていますが、そのユニークな文章をもう期待できません。総て、山本寿満子さんの肩にかかっているのが現実です。今後は「みちと環境の会」に大きな期待がかかっています。
おしまいに投稿内容について分析してみました。分類をするのが難しいのですが、独断と偏見により分類してみました。
阪神間道路問題ネットワークは運動団体の集まりですから、主張・論文・報告・記録といったところが中心になるのは仕方ありません。「みちしるべ」の面白いところは、紀行・歴史・文化・文芸などの文化・芸術面が充実しているところでしょう。主なコラム記事は3種類あります。何かと「みち」に関する内容にと、それぞれの工夫が見て取れます。しかしながら、「みち」に拘らないものもOKというのが、編集者の意図するところでした。比較的に旅行記が多いのが特徴のようです。旅行というのは一般に非日常ですから、日常生活の惰性を乗り越えた気分が書けるのかと思います。まだまだ忙しい毎日のメンバーですが、文章の中だけでも、新しい自分を発見してもらいたいものです。
「みちしるべ」の印刷は550部ということになっています。だいたい、それに近い部数は各団体に配布されています。現実に500前後の人たちに配布されています。なかなか感想をいただける状態にありませんが、感想の投稿も期待しております。第50号の記念に、何かの催しをという意見もあります。第30号の記念は、04年8月1日に西宮勤労会館にて、レセプションを行いました。
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