『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』**ノーマイカートラウママウラト交通弱者**<2011.11.&2012.1. Vol.71>

2012年01月05日 | 澤山輝彦

ノーマイカートラウママウラト交通弱者

澤山輝彦

 何千万円もする車は別にして自動車はもう高嶺の花ではなくなった。持とうと思えばまあ誰でも持つことが出来る。そんな時代に車を持たないことを貫き通すこと、それは思想なのである。車を持たない我家はその思想に乗っているのだ。我家は車があれば助かる時にはタクシーを利用している。誰も彼もが車を持ってしまったことが世の中に様々な歪を生んだのだと私は思っている。これを正せば実に簡単に解決する問題がたくさんあるのだ。そんな歪を生む原因に加担しない、というのが車を持たない理由=思想を実践するところなのだが、もし私が道路問題、広く環境問題に取り組んでいなかったとしたらどうだろう、私は車を持たずにいただろうか。持ったかもしれない、自動車は好きだったからなあ。でも持たずに来た、それは生まれ育った場所(環境)が関係しているのだと私は思っている。

 私は昭和14年、環状線の内側、大阪市福島区に生まれ、昭和41年までそこで生活してきた。幼少年時代は戦中戦後である。庶民が自家用車を持てるという時代ではなかった。自家用車のほとんどは会社や官庁の物であり、一般人としては極ごく一部のお金持ちが持つたもので、車は庶民にとって高値の花だった。国産車というもの、特に乗用車はそれ自体がまだ黎明期のおそまつな物だったのだ。大型でクロームメッキがピカピカの派手なアメリカ車が走り、それらに大人も子供もあこがれたのだった。あれはキャデラック、マーキュリー、パッカード、クライスラーだと車名をあてて遊んだりしのだ。そんな時代だから当時の町屋の造りにはガレージなど付いてない。今のように一寸した空き地があれば駐車場になっているということもなかった。主な道路を一歩内側に入れば、そんな町が続いているのだった。そんな主要道路には市電、市バスが網の目と形容されるように走っていた。勿論、交通機関としては市電市バスだけではなく、大阪環状線の前身、城東線、西成線があったし(大阪環状線になったのは昭和36年1961)市営地下鉄も(御堂筋線だけだったかなあ)があった。人々はそれらを足として利用していたのだ。停留場から停留場へ、あとは徒歩で目的地に到達する、それで十分だった。

 そんな中でも市電は楽しい乗り物だった。色んな形式があり、あの形この形に乗るというのも楽しみだった。市電がらみの事故もいろいろあり、それらは町の話題になった。中学時代には遠足の集合場所が郊外電車のターミナルになることがあり、そこへは市電で行ったのだが、なかには三輪タクシーに相乗りして来るやつもいた。そんなことが子供にとって大人びたぜいたくで楽しいことだったのだ。そして日本はやがて大経済発展を遂げて行く。車を持つ層も拡大し町は車であふれる。市電はもはや自動車にとって邪魔者でしかなく、徐々に撤去された。大阪市電の終焉は昭和44年(1969)である。

 市電があった時代、停留所で切符を売るおばさんがいた。回数券一冊にはおまけが一枚付いている。それをばらして一枚一枚を単価で売り切ると一冊で一枚分が儲けになる。非常にこまかい商売だが、利用する人も多かったのだろう、結構そんなおばさんがあちこちにいた。

 そんな町で育った30年、車無しで何の不都合も感じなかったこと、それが身体にしみ込んでいるのだ。このことは大きい。そこで根付いたこと、公共交通を利用して事は足りる、ということが私の生活においてずっと続き、現在の私のノーカー生活に繋がっているのである。これは車なしで町の生活を送ってきたことが私の深層心理に何の悪い影響も残していないことの証しであり、トラウマという言葉が表す反対の概念にあたるのではないだろうか。このことを表す言葉を知らないが、トラウマの逆さまだからマウラトではないだろうか。こう書くと、何を言っても不信の目で見られてしまうかもしれないな。

 私がこのようにノーカーでいることが出来るのは、都市生活をしてきたからだと結論づけたのだが、全ての都市生活がこうであるとは思っていない。大量消費の時代が来る。消費は美徳なんて言われる時代を迎え商魂が人々をほうっておかなかった。車に関しては国民車という言葉で廉価車が開発され、国産乗用車も改良が進みだんだん良いものが出来てくる。人々は素早く時代の変化に対応した。マイカー時代になってしまったのだ。

 そしてマイカーが公共交通機関を破滅させた。それは都市だけではなく、時期の違いこそあれ地方においても同じであった。都市はともかく、地方における公共交通機関の衰退、廃止は交通弱者という言葉を生んだ。一日数本のバス便に頼る生活がある所、そんな所があちこちに出来たのだ。交通弱者だけではなく、過疎地、限界集落という言葉が生まれたことも似たような根にある問題なのだ。

 この構図が国や地方の発展過程では必然的であるとするなら、為政者、行政当局は弱者を救済する施策をとらねばならない。そんな人々を見捨てる罪作りなことは許されないことだ。罪作りは犯罪ではないか。暴力団とつるんだ伸介は罪を問われた。でも彼はそんな交通弱者を作ったわけでもなし、過疎地化に加担したわけではない。(と言っても俺は伸介を免罪しないよ)こんな罪をつくり、放置する者は伸介より早く罰されるべきだろう。そうではないか、誰もしなければ俺が罰してやろう。又々不信感を招くような事を言ってしまった。

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