『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

2017年6月例会のご案内

2017年06月06日 | 月例会案内

阪神間道路問題ネットワーク
6月例会のご案内


2017年6月17日(土)13:30~15:30
西宮市立勤労会館 第4会議室(3F)

7月例会のご案内  2017年7月22日(土)13:30~15:30
              西宮市立勤労会館 第4会議室(3F)

梅雨まじかですが、このところ爽やかな日が続きます。一方、世界情勢も国内も、混沌としてきました。泥沼転落という事は避けたいですが、はたして如何したものか?▼5月例会は、川西自然教室のメンバーにお世話になり、初谷川と笹部山裾を歩いてきました。様々な植物の説明があり、鶯が鳴き蝶やトンボの生息を観察しました。歴史的ほこら等では、地元に伝わる歴史のご紹介もありました。最後は、川西市郷土館に入り、チョットずるでしたが、全員高齢者半額でした。旧銅山採掘の展示、数寄屋風の造りの旧平安邸(国登録文化財)、英国田園住宅を忠実に模した旧平賀邸、青木大乗(日本画)・平通武男(洋画)のミュージアムなどを見学しました。これで150円は儲けもの▼参加者は、T会長を含め川西自然教室の8名、S画伯・芦屋のFさん・きのこクラブのFさん、それに私の12名でした。お天気も良く暑くもなく、快適でしたが…。最後の〆は、男組一部で山下駅近くのお好み焼き屋さんにて、喉を潤しました▼個人的には、《甲子園口バル&マルシェ》の日で、知合いのお店二軒、ライブ(JAZZ)のハシゴをしました。日焼けした顔は、どうも夜のお店には異質だったようです。二軒目のお店の店主に誘われ、打ち上げに付き合ったので、帰りは終電となりました▼6/4は尼崎市議会議員選挙の投開票。『みちしるべ』の印刷でお世話になっている酒井・都築さんが当選していたので安心しましたが、結果は如何に?例会で聞きましょう▼『みちしるべ』97号は近々、印刷の予定です。  (F)

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『みちしるべ』**街を往く(其の十九)**<2017.3.&5. Vol.97>

2017年06月06日 | 街を往く

街を往く(其の十九)

藤井新造

海に浮かぶ礼文・利尻島から奄美へ

 昨年(2016年)の1月、離島として本土からあまり遠くない奄美大島・加計呂麻島へ行った。と言っても何時もパック旅行に便乗してである。20年前位から、そうしている。それまで自分でプランを組み、レンタカーから汽車を組合わせて国内旅行をしてきたが、時間的余裕ができたのに安い旅行プランに切りかえ行くようになった。

 自分で言うのは少し気が引けるが、離島と北海道へは比較的よく行っている。北海道へは一度行くと海外旅行と同じくやみつきになり、7~8回におよんでいる。あの広い大地を車(レンタカー)で走りたいが、先ずパック旅行にはじまり、今まで全部パック旅行で終わっている。それでも、あの広々とした大地を観光バスで走るだけでも、日常からの解放感に浸り、再度行きたくなる。

 そこで、さて離島であるが、私は奄美大島へは一回も行ったことがないのに気づいた。この島から南にある徳之島、宮古島、石垣島、西表島、(後に波照間島)へは、友人と一緒にツアー旅行(と言ってもホテルの予約)を楽しんだことがある。その前に少しだけ北の国に触れておきたい。

 稚内市の沖、約40km先に浮かぶ礼文、利尻島である。稚内を訪れる人は、多分この両島に行っていることが多いと思う。特に利尻富士は、どの季節に行っても、その威容さに感嘆せずにはいられない。最近の新聞では連日、ツアーの広告で賑わっている。私の場合は、他の人も同じであろうが、珍しい花が咲く初夏に行った。

 大型フェリーに乗船して稚内港を出航し、まもなく大きく揺れだした。添乗員の女性が、「この季節、これほど揺れるのは珍しいですよ。」と言い、座っていると気分が悪くなるので、身体を横にしていた。私は海の近くに育っているので、少しは慣れていたが、やはり横になり寝ていた。所要時間は2時間くらいであった。

 礼文島は別名「花の浮き島」と呼ばれるだけのことはあり、レブンウスユキソウ、レブンサクラソウ、レブンアツモリソウなどなど。そして礼文林道では、この他、礼文特有の花々が多く見られた筈であるが、私は残念ながら花の知識に乏しいので、ここに描写することができず残念である。

 私は花より、むしろ北端スコトン岬の岩場に生息するトドの一群が珍しく、眺めていた。行った季節は初夏だったので、花を愛でる多くの観光客がいて、歩道が狭く気分的に忙しかった。花の名前がわからずとも、もっとゆっくり鑑賞しながら歩きたかったが、それが叶わず少し残念であった。

 この礼文島より南を向くと利尻富士が目に入る。利尻富士は稚内の平野から見ると、誰しもその地に足を踏み込みたくなるほど端正で、「小富士」と感じさせる島である。標高1,721mであるが、まさに浮島の言葉にピッタリである。稚内を宗谷岬から左廻りの時は右に、留萌から右廻りの時は左に、何回か見たものである。また、観光バスが右に左に迂回する時、尚一層美しく見える。

 稚内の港は、北防波堤ドームがあることで有名である。樺太航路が出入りするための港、昭和6年から5年かけて建造されたもので、長さ427m、70本の柱で支える世界唯一のアーチ型の防波堤である。私が行った時(2010年)は、ロシアの貨物船が停泊し、日本の中古自動車を購入しに来ていたロシア人を多く見かけた。稚内の公園に登ると、ここは石垣島からの距離が丁度2000kmという地図板があり、日本も長細い列島群なのだと、あらためて実感した。

イモーレ(※注)奄美大島・加計呂麻島

 今では、奄美大島は飛行機で往きは約2時間、帰りは1時間30分である。私は、うかつにも奄美が、こんなに短時間で往復できるとは知らなかった。そう言えば、徳之島在住の知人の年賀状に何時も、鹿児島県とあり、あらためてここが沖縄県でないのを再確認したことであった。

(※注)「イモーレ」とは島言葉で、「いらっしゃいませ」の意味。

 奄美へ行った目的は二つあった。一つは、尼崎へ奄美出身の人が仕事と住居を求めて多数来ているので、その人達の故郷を見ておきたかったのである。働く職場は、鉄鋼産業の下請け、二次下請けで、きつい危険な作業現場が多かった。高度経済成長の1970年代末から若者だけでなく、年配者も仕事を求めて尼崎に多くの人(出稼ぎ労働者を含め)がやってきていた。特に、尼崎市長が求人募集の一役をかい沖縄へ出かけて行ったと、尼崎市史に書かれている程である。

 私は仕事上、多くの奄美大島、徳之島、宮古島、石垣島出身の人と接触があった。これらの島(八重山諸島を中心に)出身者は、尼崎での生活が安定すると、島の知人、友人を呼び寄せ、各職場で共同作業をするグループが多くあることも知った。そのことによってか、奄美出身の人たちが県人会をつくり、一年に一回の盛大な集まりで、親睦と連帯を強めていると聞いたことがある。

 恥ずかしい話であるが、長い間、奄美は沖縄県とばかり思い込んでいた。そこは鹿児島県であり、日本の離島で一番面積も大きく、人口も6.3万人も住んでいるとガイドの説明があり、そのことを知った。

 先ず、奄美で有名な北部のあやまる岬を訪れ、奄美パークへ入った。ここは奄美の民俗資料展もあり、歴史がわかりやすく理解できるようになっていた。まあ、しかし何よりの楽しみは田中一村記念美術館に入館できることであった。私は彼の原画を見てなく名前を聞くのみであったが、美術館の建物も立派で、それにふさわしい絵画が展示されていた。栞(しおり)をみると、年4回、絵の入替を行い展示しているという。

 この展示室は、モネの睡蓮の絵を展示しているオランジュリー美術館を思い出させた。展示室の壁の中に、絵がすっぽりはめ込まれているように見えた。栞には、一村は「昭和33年、50才で奄美大島に移住し、昭和52年に69才でひっそりと誰にも看取られずに生涯を閉じた。」と書かれていた。この常設館は、もっと世に広まってもいいと感じたが、惜しいかな、ここまで来て観る人は少ないのであろう。

 次に訪れたのは、黒潮の森マングローブパークである。マングローブの森といっても、西表島ほどの規模もなく、小さい樹木なので少々がっかりしたが、それは仕方ない。しかし、ここではカヌー漕ぎをさせてもらった。私にとっては、初めての体験である。穏やかな川の流れの中なので、さして難しくなかったが、それでもカヌーの横揺れを防ぐ漕ぎ方を皆必死になっている。私にとっても、子供の頃を思い出し、面白かった。

 一日目はそれで終わり、二日目はデイゴの並木の見学、油井岳展望台より大島海峡を見渡す景勝の地を案内してくれた。当然、南に位置する加計呂麻島へ半潜水船で渡った。加計呂麻島といえば、映画『神々の深き欲望』のロケーションの地であったと、記憶にあるが、正確には思い出せなかった。(編集者【注】;今村昌平監督のこの映画のロケ地は、沖縄県の南大東島・波照間島などであると解説されている。)

 それより、作家の島尾敏雄が海軍で上級将校として派遣されていた筈である。その名残りとして旧海軍特攻隊跡のコンクリート建物が残っていた。小さい窓が海峡に向かってあり、この窓よりアメリカの軍艦の通過するのを見張る要塞になっていたという。なにより、島尾敏雄の文学碑を見たかったのを忘れ残念であった。帰宅してから、彼の『死の棘』を読みかけたが、難解(?)なのでやめてしまった。

 3日目は、大島紬の作業工程と奄美焼酎の製造工場の見学である。焼酎の工程については、宮古島で一度見学したことがあるが、ここは製造タンクもいくつかあり、大きい工場である。土産物を見学し、何回も試飲しているうちに、私の頭脳はもうろうとなり、細部の事は忘れてしまった。

 それにしても、奄美が本土のすぐ近くにあるにもかかわらず、自然が乱開発されていないのが、何より嬉しかった。

 奄美大島「ありがっさまりょーた」(ありがとうございました)

 奄美大島行きの感想が、何時のまにか離島断片記につながり、おそまつになってしまった。

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『みちしるべ』**道路全国連国交省要求書**<2017.3.&5. Vol.97>

2017年06月06日 | 道路全国連

道路全国連国交省要求書

 毎年、環境週間に合わせて、「全国公害被害者総行動」が行われます。今年は6月7~8日に第42回目の「総行動」。全国から公害被害者が集り、集会・デモ・中央省庁交渉が開催されます。「道路住民運動全国連絡会」も毎年参加しており、国交省交渉を予定しており、その要求書が取りまとめられましたので、ご紹介します。

国土交通大臣 石井啓一 殿

2017年6月7日

 道路住民運動全国連絡会 事務局長 橋本良仁

 国土交通省の2017年度の道路関係予算は「効率的物流ネットワークの強化」三大都市圏環状道路整備や拠点空港・港湾へのアクセス道路整備など(2529億円、154億円・6.5%増)に見られるように大型道路建設をさらに押し進め、29年前に計画した四全総14000キロメートル高規格幹線道路網をすべて実行しようとしている。

日本の道路の多くは建設後30年以上を経過していて、維持・管理・更新には今後50年間で250兆円が必要と試算され、新たな道路を作る財源は全くない。

本要請は、昨年と同じ中部横断自動車道(長坂~八千穂)――山梨県側(北杜市)、東京外環道、横浜環状南線を中心に行う。また、昨年の要請時に課題となった平成22年交通センサスによる将来交通量予測がいまだ公表されていない。具体的な回答を求める。

 記

 将来交通需要予測およびB/C評価の見直しについて

 道路事業のB/C(便益╱費用)評価は最新の道路交通センサスによる将来交通需要予測に基づき行うべきものである。しかるに平成22年交通センサス実施以後も、平成17年交通センサスによる将来交通需要予測が用いられ、既に平成27年交通センサスが実施された今日まで続いている。

 平成22年交通センサスによる予測では将来交通需要には明らかな減少傾向がみられていたが、平成27年交通センサスではその傾向がさらに強まっていると判断できる。平成17年交通センサスに基づくB/C評価は明らかに過大であり、それによるB/C評価が1を超えたとしても道路の必要性の根拠にはなり得ない。

  1. 全国で建設中や建設を予定している道路について早急に平成27年交通センサスに基づくB/Cの見直しを行うことを求める。 
  2. 平成17年交通センサスに基づく評価でB/Cが2.0以下の道路事業は見直しによって、確実に1を超えることが確認されるまで事業を凍結するよう求める。

 

中部横断自動車道(長坂~八千穂)――山梨県側(北杜市)

  1. 国交省は平成27年4月計画段階評価は適正に行われ終了したとしているが、その実態は旧態依然のやり方で進められ、様々な瑕疵と問題点がある。計画段階評価の「構想段階における市民参画型道路計画プロセスのガイドライン」(平成17年9月国土交通省道路局)に基づいて中部横断自動車道(長坂~八千穂)の計画段階評価が行われたとされているが、そのガイドラインには構想段階の市民参画の仕組み、住民からの指摘事項の具体的な取扱いや意見を計画に反映するための仕組みが明確にされていない。2013年に道路計画プロセスのガイドラインが改定されたが、住民から指摘された問題点や意見等はどのように反映されることになったのか説明を求める。
    このことは既に平成27年11月26日の国交省要請の際に「中部横断自動車道(長坂-八千穂)計画段階評価の問題点」とする意見書提出により指摘し、やり直しを求めている。直近では平成29年3月14日衆議院第一議員会館で開催された超党派議員連盟「公共事業チェック議員の会」の総会において引き続き追加的に指摘し要請している。

  2. 情報開示請求により、中部横断自動車道の山梨県側・長坂~野辺山の高速道路建設計画の概略(ルートの位置と建設構造等)が判明したが、国交省は未だにそのことを関係住民、別荘所有者等へ明らかにせず、説明もしていない。なぜ、中部横断自動車道新ルートに関係する住民・別荘所有者等へ広く知らせ説明をしないのか説明を求める。

  3. 国交省は中部横断自動車道の山梨県側新ルートに関し、中央道須玉ICから国道141号に沿って北上するルートを検討していたことが情報開示請求により明らかとなった。なぜ、新ルート案を発表する際に比較評価の機会をつくるべく複数案の一つとしてそれを示さなかったのか。さらに、中部横断自動車道(長坂~八千穂)の長野県側に関してはまだ3キロ幅ルート帯のままでその建設計画の概略費用も算出されていない。現在、建設計画を進めているがこのような問題についてどのように考えているのか説明を求める。

 

東京外環道(練馬~世田谷)

  1. 外環本線事業地には現在、都市計画法65条の制限がかかっている。供用後に同法53条がかかるということだが、それは確実か? その場合、53条に基づく申請が許可される条件とは何か。また、53条を適用しない同法11条3項、但し書きの適用は考えていないのか。

  2. 区分地上権契約では、提示されている契約書案は、あまりに一方的であり、契約行為が双方の対等の関係の中で協議し、取り決めるという契約の大前提が失われている。第三者の弁護士が参加するなど、公平、対等な協議を含む契約交渉の場の設定を求める。

    契約上の問題点としては、

          ●地下の不動産価値を全体の30%を前提とする。
          ●事業地に相当する敷地部分の分筆、
          ●当該部分の登記は、第一順位に記載
          ●残地に対する補償がない
          ●契約当事者に事業者の国交省が入っていない、など。

  3. 家屋に被害が発生した場合は、科学的かつ分かりやすい手法により、原因分析を行い、対策を明らかにされたい。そのためには地盤変容調査と第三者による判定機関の設置が必要である。その2点を直ちに実施することを求める。

  4. 要望  博多駅前陥没事故は、外環沿線住民の間に不安、恐怖をもたらしている。外環の地上部は住宅街である。あのような陥没事故が起これば、死傷者が発生する可能性が極めて高い。沿線住民は、速やかな緊急避難計画立案を求めているが、外環国道事務所は「初期掘進の10か月間に検討する」と回答。シールドマシンが動き出せば、万一の事態はいつ発生するか予断を許さない。一刻も早い緊急避難計画立案を求める。

 

横浜環状南線

  1. 平成29年2月20日付け公害調停は「被申請人は、環境影響評価の大気汚染予測の方法について、科学的知見に基づき最適な予測方法を用いるものとする。」と成立した。具体的にいつどのような方法を採用するかを示すことを求める。平成29年4月5日の衆議院国土交通委員会での石川道路局長の回答ではその方法、時期ともに不明である。同回答では、プルーム・パフ式が一般的手法として信頼性は確認されている、としたうえで、3次元流体モデルは問題があると云々している。しかし、パフ・プルーム式に固執し、進化したコンピューターシステム技術利用での転換を図ろうとしてこなかったことに問題があると付言する。

    公害調停の成立内容は、係る背景に基づくものであり、新たなシステム構築を早急に取り組むことを要請する。

    平成28年秋の横浜市議会の決算委員会で市当局は議員の質問に「住民の要望に応え横環環状南線も必要と思う。換気塔に脱硝装置を付けるよう事業者に伝える」と回答した。「事業を進めるに当たって住民の理解を得ながら」と言いながら同じ横浜環状北線では脱硝装置を備えた換気塔を設置し同じ環状南線では設置しないことでは同じ横浜市民の理解は得られない。NEXCO東日本に脱硝装置を設置するよう指導することを確約するよう要請する。

  2. 近年の度重なる大地震災害の度に大規模盛土造成地の問題が都市整備局を中心に宅地造成法等の法改正を行いながら、同じ国交省の道路局はこれを無視して盛土地盤を中心とした地域で横環南線などの高速道路建設を進めている。

    これは国交省の政策矛盾である。宅地造成法に基づき危険度チェックを早急に行い沿線住民に安心を与えることを強く求める。
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