『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

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『みちしるべ』**阪神間に見る現代資本主義の現状**<2011.11.&2012.1. Vol.71>

2012年01月01日 | 藤井隆幸

阪神間に見る現代資本主義の現状

藤井隆幸

庶民的景況感と経済の実態

 昨今、庶民は経済の先行きに、大変な不安を抱いている。そこそこの年金生活を送っている人も、ますますの年金減額に、老い先が心配である。大手企業に勤める人々も、若年退職勧告が、いつあるかと思っている。公務員も強まるバッシングに、底の知れない恐怖がある。10~40代の若者は悲惨で、その多くが非正規雇用である。70~80年代に、サラリーマンのうらやむ高収入であった自営業者は、最もみじめな現状にある。若者のワーキングプア以下なのである。

 それぞれ、不安と現状の差があるものの、総じて景況感の悪さは共通するものがある。だから、巨大産業も大変なのだと考えてしまう。しかし、一昨年から昨年にかけて、内部留保(非課税の純利益)は26兆円も積み増してしまった。その前年は11兆円と、利潤の拡大は加速しているのである。大手企業だけで、266兆円に達しており、地球上で類を見ない異常な溜めこみになっている。

 しかしながら、その大企業も将来像を描けないのは、庶民と同じことである。実態を反映しない超円高にあっても、海外進出はうまくいっているわけではない。タイの水害などでは、手痛い損害を被った。原発事故での電力不足が問題になっている日本だが、中国や米国は、そんな日本より電力事情が悪いのである。非正規雇用が4割に達する日本の労働力は、高品位の労働の質が望めるうえに、途上国の賃金より極端に高いわけではない。

日本の資本主義と世界経済の到達点

 この経済混迷は、いったいどこから来るのであろうか。原因は世界に普遍的に、影響を生じさせている。ただし、その国と地域の立場と発展段階などの違いで、現れ方がまちまちで、根源が同一であると信じがたいのではある。

 人は生きるために働く。文明を発達させる中で、最低限の生産から、余剰生産が可能になってくる。そして、集団社会を形成する人間は、分業という手段で更に余剰生産を形成してきた。

 分業の労働の対価を交換するに当たり、物々交換から貨幣を考案する。この貨幣が余剰生産とともに蓄積され、更なる生産力の為につぎ込まれる。その際に、貨幣は資本という名に変わって、意思を持ち始めた。

 資本は自己増殖を始め、あたかも意志を持っているかのごとく、人間社会のメカニズムの中で巨大化していった。この時、資本家と労働者といった階級を形成する。資本家が労働者を支配しているが如く見えるが、資本の自己増殖要求に、資本家も傀儡となっていたのだと考える方が妥当だろう。

 資本主義の爛熟期に至ると、金融寡頭制が顕著になってくる。アメリカ発の金融テクノロジー(金融工学)は、今や世界経済の上に君臨するに至っている。株式は起業の資本を出し合うのが目的だ。が、株式が売買されるに至って、企業投資の何億倍もの売買が行き交っている。貿易で通貨の交換が必要になって、為替が行われるが、これも貿易額の何万倍の取引が目まぐるしい。先物取引は、将来仕入れのリスクヘッジ(損失回避)のためのものだが、これも同じことだ。

 これらは正常な経済取引を、遙かに超える規模で行われるようになり、実態経済を圧迫するに至っている。いわゆるマネーゲームである。別名、ゼロサムゲームと呼ばれている。「サム」とは足すことである。足すと結末はゼロになる。つまり、誰かが損した分だけ、誰かが儲けるというのである。

 しかし、ことは簡単ではない。ある銘柄の株式が値上がりし、誰かが儲けるといった単純なものではない。M&AとかTOBなどという、いわゆる企業買収や乗っ取りで荒稼ぎする。サブプライムローンのように、貸付債権の転売を繰り返し、その実態が誰にも解らなくなる。それが実態である。

 このマネーゲームに使われる貨幣(殆どは実態のない信用というコンピュータ信号である)は、資本と区別して、日本の経済学者は「マネー」と呼んでいる。資本家は労働者を支配したかに見えた。が今日、「生産・サービス資本」を「投機マネー」が支配する構造が出来上がってしまった。

阪神間で現れた経済現象について

 多少、身近に見えない話をしてしまった。ここで、阪神間で行われている、爛熟経済活動の実態を見ることにしよう。

 阪急電鉄は宝塚のファミリーパークを閉園した。人々は赤字経営だと思ったが、実は、立派に黒字経営をしていたのである。では、何故なのか? 甲子園の阪神パークも、閉園された。これも、おそらくは黒字経営であったものだと推察される。同じことが、アサヒビールの西宮工場の閉鎖である。

 動物園は資産としては巨額になる。しかし、利益幅は大きくは無いのだ。ビール工場にしても、工場資産額が巨大すぎて、その利益は大きいものの、率にすると小さいものとなる。会社全体の利益率で計算すると、会社の利益率を押し下げる作用があるのだ。だからと言って、ビール屋がビールを作らないで、どうするのだ。動物園の地域社会での、歴史的使命はどうでもよいのか?

 常識人では考え付かないことではあるが、東京本社の机の上では、数字だけが総てである。結果は野となれ山となれ、なのが実際のところだ。

 もっとひどいことがあるのだ。阪神パークの跡には、ラ・ラポート(巨大商業施設)ができた。阪急西宮球場跡には、阪急ガーデンズ(同)ができた。西宮市に2つも作って、採算が合うのかということである。本来なら、モノを売って儲けたり、サービスを提供して儲ける。それが商業施設の役割である。が、そんな単純なものではない。

 阪急ガーデンズには、260店ものテナントが入居している。そのテナント料は半端な金額ではない。既に、多くのテナントが撤退を余儀なくされた。利益を上げているだろうと思える店もあるが、商売になっているのか不思議な店がほとんどである。

 阪急系列の業者で、入居を求められて、断れない業者は星の数ほどある。その業者たちが、多大な赤字を抱えてテナントとなって、その分で阪急資本は成り立っているのである。つまり、テナントとなった中小零細業者の生き血を吸って、阪急資本は稼いでいるのだ。

 阪急ガーデンズは、オープンの最大集客が10万人/日であった。梅田北の商業施設は、100万人/日であったことを思えば、大したことではないように見えるが、多重債務者を大量に創出することが、巨大資本の利益となるのである。

 小売業資本が販売利益などという、小幅なモノを考えていれば、投機マネーの要求には到達しないのである。

小泉構造改革とは何であったのか

 日本がマネーゲームの戦場となってゆくのは、もう記憶の古くなった『小泉・竹中構造改革』からである。

 郵政民営化は、郵便配達民間導入に狙いがあったのではない。賢明な読者諸氏にはお判りのことと思う。郵便局の抱える200兆円とも言われる郵貯・簡易保険を、保険会社に売り渡すことであった。日本の保険業資本は、次々にアメリカ資本に置き換わっている。ジョージワシントンも日本に上陸すると、福沢諭吉に変身する。国民の目には、どこまで浸食されているのかわからない。

 保険業というのは、何かあった時に保険金を渡すのが業務と思っているのは、実態を見ないものだ。保険業は、集めた保険金で投機を繰り返し、荒稼ぎする機関投資家(マネーゲーマー)というのが本質なのである。

 『小泉・竹中構造改革』の行ったことは、郵政民営化だけではなかった。上場企業の決算に、持ち株の額面評価から時価相場に切り替えさせたのは大きなことだ。

 大手企業は会社乗っ取りを防ぐために、自社株を1/3程度は持っているものだ。四半期(3ヶ月)ごとの決算を、上場企業は公開しなければならない。この際、自社株が1円でも上がっていれば、決算は改善し、株価も上がる。その反対は、どんなことがあっても避けようとする。これが東京の机の上では、至上命令となる。小売業が良い商品を提供して、お客に喜んでもらうことを止め、系列会社を落とし入れだすのである。製造業が製造しなくなり、資産の売却に奔走するのである。

 さて、最も『小泉・竹中構造改革』の悪行は、マネーの最大利潤方程式を実現したことである。資本が利益率を上げるためには、商品に占める最も割合の多い人件費、これを削減することである。資本がそれを実現したならば、マネーはそこから血を吸うのである。

 原則、総ての業種に派遣を認めることとし、日本の勤労者の4割を非正規雇用に落とし入れた。欧米では、正規も非正規も労働条件は同じである。が、日本の場合は何分の1になってしまう

 バッシングで公務員の給料を下げれば、自動的に数千万人のサラリーが自動的に下がる。消費税率を上げれば、非正規雇用が促進される。<このことについては別の機会に説明する。>失業率を上げておけば、安い賃金で雇用が可能だ。

 資本活動が高利潤を上げるということは、即ち勤労者所得を引き下げることを意味する。投機マネーは、如何に巨大化したからと言って、富の生産は1円だってできない。資本から生き血を吸うしか、自己増殖の方法は無いのだ。

 実態のない「マネー」がどんどん巨大化すると、自己増殖力は増大する。が、「マネー」に絡む人物は1%でしかない。彼らが実態経済で使うお金は、微々たるものでしかない。一方、勤労者は所得が激減する中で、実態経済の規模も縮小する。資本活動は「マネー」の要求で、飽くなき利潤を稼がねばならない。勤労者所得は益々、縮小してゆく。その分、「マネー」は巨大化し、実態経済は縮小する。この悪夢のスパイラルが、今日の経済の実態なのである。この経済学の入口さえも理解できない、評論家(竹中など)がマスコミで空言を言っているのが滑稽ではある。

日本の支配層1%の実態を直視しよう

 経済の実態を直視すると、何と馬鹿げたことかとわかる。小学生でも総理大臣の職責が、もっと上手くこなせると思えてしまう。何故なのだろう?

 経済界の幹部連中は、60~70代が殆どであろう。彼らは戦後のベビーブーム世代、団塊の世代である。確かに、優秀な大学を優秀な成績で卒業し、大企業に就職したモノであろう。が、その後の経過を忘れてはなるまい。

 派閥を作り、仲間を蹴落とし陥れる。そうして最後まで勝ち残ったものが、今日の経済界の幹部達である。人間性の喪失こそ、生き残る最良の手段であった。心豊かな人物は、とっくの昔にドロップアウトしているか、罠にはめられて引退を余儀なくされているはずである。

 確かに頭脳明晰な人物ばかりがいる、経済界トップではある。が、その思考方向に、社会性の欠片もない。投機マネーの要求する方向に、ひたすらキュウキュウとするのみである。ある意味、「マネー」の傀儡でしかない。

 その傀儡に、政治屋集団はコントロールされる、ロボットというのが実態であろう。彼らには、ガンジガラメにモツレテしまった政治を、最早、修正する能力は無いというべきだろう。傀儡とロボットには、人の本質が欠損している。

 我々は99%である! Occupy Wallstreet ! なのだ。

99%の国民の率直な気分

 人々は本来、良心で生きている。しかし、生きるために充分、働いたにもかかわらず、僅かの対価しか受け取れないと、良心を喪失してしまうことがある。社会システムに適合せず、自らの命を絶つこともできず、ホームレスという羽目になることもある。

 人々は、その恐怖を強く感じだしているのだ。しかし、周囲は見えても、大局が見えているわけではない。そこに、意見の不一致や、自暴自棄も起こりうるのだ。

 それでも、我々は傀儡でもロボットでもない。99%だということに確信を持とう。我々しか、展望は切り開けないのだから。

新システムが新世代により新世界を築く

 かつて60・70年安保闘争は、10~20代が主力となって闘った。明治維新も、もっと若い人々が立ち上がって命を落とした。

 今の若者は、好景気を知らない。生まれながらに、底の見えない不況と付き合ってきた。彼らに好景気は理解できないのだ。彼らが立ち上がらないのではない。

 社会の実態とシステムの在り方を、彼らに教えようではないか。そして、ともに変革の作業を共同しようではないか。彼らには新しいツールがある。

 人々の意識を支配に都合よくコントロールしてきたマスコミ。しかし、若者のネットワークは、その影響力を凌駕する力を持つ。その技術進歩は、目まぐるしく発展してゆく。彼らに力を……。

 「資本」も「マネー」も、手足も無ければ頭脳もない。所詮、人の作ったものだ。しかし、市場経済原理というメカニズムで、ウイルスのように人を浸食しだした。1%の傀儡とロボットを従えて。我々は99%の力で対抗しよう!!

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