『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』斑猫独語(48)**<2011.11.&2012.1. Vol.71>

2012年01月06日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<道はあるくもの>

 たとへば、家から近くの郵便局へ行くとすると、行きと帰りは同じ道を通らない、回り道をして帰ってくることもあるし、時間や用件にもよるが、最寄りの駅へ行くのにもこの方法で行き帰りすることもある。こんなことが面白いのだ。

 知らない所を訪ねる場合、この方法を試みるとそれが近場であっても一寸した旅をしているような気分になったりする。電車はさすがに駅間距離が長いからよほど時間の余裕と天候、健康状態が良好でないと後にさしつかえることがあるから注意が必要だが、街の中で地下鉄やバスで移動するなら駅、停留場は一つくらい手前で降りて目的地へ向かうこれがいいのである。そこからとる道も一筋二筋、表通りをはずして路地をとおったりするとなおさらいいのだ。

 尼崎で『みちしるべ』の印刷を手伝った帰り、宝塚市立病院に入院している妹を見舞いに行くことにした。市立病院など目印として大きなものは大体の位置の見当をつけて向かえば十分辿り着くので、その日もそのつもりで阪急宝塚へまず出ればいいと思っていたのでそのことを話すと、阪急宝塚からは遠いと言われ地図をみれば小浜にあることがわかり、尼宝線で行けば小浜バス停が最寄りであることがわかった。尼宝線は拡幅問題やY電器の開店問題などで、わがネットワークの検討対象になったまいどの道路である。そんなことの色々を考えながらバスに乗っていたが、先に書いた方法を楽しもうと、小浜の手前安倉で降りた。ところがここにはあまりいい道がない。しかたなくバス道を歩いたが、Y電器の前を過ぎてここだったのか、あの頃ここを問題にされた方は今どうされているのかな、など思いながら歩いた。そして目的地の市立病院へは、行く手を工場、高速道路にはばまれ、これは迂回にちかい道をとってたどりついたのだ。この場合読みが甘かったかもしれないが、迂回させられたこと、それも高速道路の長い壁によるには、先のまわり道の楽しみはなかった。

 盛り土による道路の造成は土地を二分してしまう。盛り土ではなくても車線の多い道路でも同じことだ。地域によっては行き来も出来なくなってしまうくらいの物になるのである。またこんな道路は景観を台無しにしてしまう。刑務所の壁なんか鬱陶しいものだろうが、道路が遮ってしまう景色も鬱陶しいものである。騒音、排気ガス、交通量などは問題としてとらえられ数量的に検討することが出来るが、景観というようなものは数値に変換出来ないものだから、やっかいである。でもこのことは十分気をつけないと人の心、情緒、文化を破壊してしまう。広島県福山の鞆の浦などよくがんばっている。たかが、自動車交通の利便のため文化遺産の風景を壊してしまってはならないのである。

 娘は(私の姪だ)売布神社から歩いて来ると妹が言ったので帰りは私も売布神社へ出ることにした。これは旅的な帰路となった。小浜宿の跡をみたりして、調子にのりすぎて、見当を誤りついたのは清荒神であった。近々お参りと、鐵齋美術館を訪ねてみよう。

コメント
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