『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』斑猫独語(30)**<2007.7. Vol.47>

2007年07月05日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<トロリーバスいまむかし>

 日本でトロリーバス(無軌道電車)が初めて走ったのは、昭和3年(1928)川西でだった、と川西に住んで知った。このことを知らずに一生を終えても何の不都合もないのだが、これを知った私の一生はうれしいものになった。このトロリーバスは開業4年で経営不振のため廃業する。これに限らず日本のトロリーバスは芳しく育たなかったようだ。

 大阪市では昭和28年、大阪駅〜神崎川間に初めてトロリーバスが走った。中学生だった私は喜び勇んで乗りに行き、大阪駅〜神崎川を往復した。車内は空いていて、静かなモーター音で走るこの乗り物を、力強いとは思わなかったのを覚えている。市電が撤去された後トロリーバスになった所は何ヵ所かあったが、玉船橋〜今里間もその一つで、この路線には四ツ橋の電気科学館へ行くのに何度か乗った。

 車社会に突入して市電は厄介者扱いされ撤去が勢いづき、先のようにトロリーバスに変わった路線が幾つか出来た。トロリーバスは車と共存出来ると宣伝されていたようだ。しかし車は増え続ける。現在のように環境問題を総合的に考えなかった時代だ。やがてトロリーバスも厄介者扱いされだし、玉船橋〜今里間は昭和44年9月1日、大坂駅〜神崎川間は昭和44年10月1日廃止、昭和45年6月15日トロリーバスは全廃、不運にも短命に終わってしまうのだ。

 日本では薄幸だったトロリーバスだが、世界に目を向けると今もトロリーバスが走っている街はある。近くでは北京だ。4年前北京へ行ってトロリーバスが走っているのを見た。中心街には電源をとる架線の無い所があり、そこはバッテリーで走っているのだろう、集電ポールをたたんで走る姿に、これぞ無軌道電車だと思ったものだった。北京をはじめ旧社会主義諸国には今もトロリーバスが走っている街が多いのではないか。社会主義国家のとった交通行政の一面なのだろう。またそれが市民の足として確固たる地位を築いたのだ。日本では、現在、立山黒部周辺観光の足としてトロリーバスが走っている。このトロリーバスには一度乗ったことがある。環境問題など考えていなかった頃のことだ。国立公園の山をくりぬいたトンネルを走る路線には排気ガスを出さないトロリーバスが最適なのだ。そんなトロリーバスは都市にもいいはずだ。今一度乗ってみて、トロリーバス復権の可能性などを考えてみたいと思っている。

 トロリーバスは法的には無軌道電車と言ったが、無軌条電車と書くように変わった。無軌道は考え方や行動が常軌を逸する状態を指すので、これを避けたのである。

コメント
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