小幡憲仁 議会活動日記

よく考える政治!
20年後の高浜をイメージし、今の政治を考える。

選挙告示日

2004年04月20日 | コラム
高浜町長、高浜町議会議員補欠選挙の告示日です。
選挙を経験した者としてやはり特別な感慨があります。選挙はたとえ町議会議員の選挙でも(他の選挙は経験ありませんが)大きなリスクを伴い、本人にとっても家族にとっても非常に大きなプレッシャーとなります。
それでも政治家という夢を実現するためには避けて通れません。

昔はそうでもありませんでしたが、40代になってから中島みゆきの唄を聞くようになりました。
特に「ファイト」という唄の2番の歌詞が、ちょうど昨年の町議会議員の選挙中、多くの選挙カーが支持を訴えて必死で町内を走りまわっている姿とラップして、夜によく聞いていました。

(2番の歌詞)
*2番の歌詞を記載していましたが、著作権に抵触する可能性があると判断し削除しました。


候補者の皆様のご健闘をお祈りいたします。

4月度議員会

2004年04月19日 | 議会活動報告
4月度議員会に出席。本日の主な議題は2点あります。第1点目は、3月定例会の予算委員会で、高浜小学校の耐震補強・改修工事に伴い普通教室に冷房を設置すべきとの議会側の提案に対する教育委員会としての考え方の確認。(3月10日の日記参照) 第2点目は、関西電力から①海外MOX燃料調達の今後の進め方②高浜発電所1,2号機の今後の運転方針③使用済燃料貯蔵設備の貯蔵能力変更計画の3項目について説明を受けることです。

高浜小学校の普通教室への冷房の設置について、理事者の結論は設置しないというものです。
理由は、高浜小学校に冷房を設置するとなると、公平性を保つためには少なくとも2年以内には高浜町内全ての普通教室へ冷房を設置する必要がありますが、その場合、設置費用は概算で2.4億円となり、他に年間のランニングコストが約3千万円必要となります。また、内浦地区の小中学校は近い将来、統廃合という問題が避けて通れませんが、これらの学校への冷房設置費用約3千万円が無駄な投資となる恐れがあること。さらに県内226校の学校のうち、冷房を設置している学校は5校のみ(そのうち3校は大飯町)。 ・・・などの理由です。
ただし将来のことを考えて、受電設備や配管等については、冷房を設置することを前提とした設計にしておくというものでした。

財源がないのであれば仕方がありませんが、高浜町の場合はこの事業に財源を充当する気はないということです。
公共事業というのは、必要なものに優先順位をつけて実施していくわけですが、現在の理事者は、学校の普通教室への冷房の設置は、他の公共投資より優先順位が低いと判断したということです。

勘違いしないで欲しいのですが、我々議会の主張は、何も、生徒に最高に快適な環境を提供しろというものではありません。以前にも書きましたが、現在の夏場の普通教室の暑さは常軌を逸しています。この耐え難い状況を緩和するために冷房を設置すべきであると主張しているのです。少しでも暑くなったらすぐに冷房のスイッチを入れるという使い方には私も反対です。

あるいは冷房の使用は年間数日のことかもしれませんが、とても勉強をする環境にない耐え難い状況を緩和するために冷房を設置すべきとの主張なのです。そして、この数日のために2.4億円を使っても惜しくないと考えるのか、惜しいと考えるのか、問われているのは教育に対する姿勢だと思います。


和田浜砂防ネット外し作業

2004年04月18日 | 活動日記
午前中、汗ばむ陽気のもと、和田海岸に冬の間、季節風で砂が地区内まで飛ばされるのを防ぐ目的で設置されている、砂防ネットを取り外す奉仕作業に参加しました。
ネットは、あの広い砂浜全面に多重に設置されていますが、たくさんの方々の協力で作業は2時間程で終了しました。
和田という土地柄は、このように住民が参加して町をきれいに保つための作業を頻繁に行うところです。この結果、砂浜はいつも清掃が行き届いており、この努力が、毎年、環境省の『日本の水浴場88選』に選定される大きな理由のひとつになっております。


広報特別委員会の懇親会

2004年04月16日 | 活動日記
夜、議会広報特別委員会の懇親会に出席。広報特別委員会の任期は1年間で、この4月で任期満了ということで懇親の場を持ちました。町長選挙前の微妙な時期ですが、議長にも出席いただき各委員とも和気藹々で楽しいひと時が過ごせました。
さて、次期広報特別委員会は、この選挙終了後の5月に臨時議会を開きその時に決めることになります。
私は、前にも書きましたが(4月9日の日記参照)、委員会活動が自分自身の勉強にもなるので、次年度も引き受けるつもりでおります。

労働組合の集会で挨拶

2004年04月15日 | 活動日記
会社の労働組合の集会で、短い時間ではありましたが挨拶をさせて頂きました。
挨拶要旨は以下の通りです。

議員になって1年が経過し4回の定例会を経験しました。当選後間もない頃は分からないことも多く苦労しましたが、この1年で一般質問を3回行い、最近では議会審議でも積極的に理事者に対し質問や提言をしております。
先日も妻と話しましたが、この1年間、結構頑張ってきたなと自分自身でも評価しています。

議員として自分なりの基本理念を持って行動してきました。
 (基本理念)
 ・高度な政策立案・審議能力を身につけるため日々努力する。
 ・住民の代表者として高い見識を持ち、理事者とは対等の立場で臨む。
 ・私利私欲を捨てて、勇気と奮起をもって活動する。
 ・住民の声に耳を傾け、常に住民とともにあることを旨とする。
議会が本来の責務を果たさなければ、理事者は堕落する。議員の不作為は町民に不幸をもたらすことを肝に銘じる。

また、現在の町政の課題も自分なりに見えてきましたので紹介しました。
町政に対する住民参画が不充分だと感じています。そのためのシステム作りも進んでおらず、今後積極的な取組みが必要です。地方分権の進展に伴い、地方の自立が求められています。町民参画のもと、自立した町づくりに真剣に取り組む時期です。
町政の情報が町民にあまり伝わっておりません。説明責任を果たす努力がもっと必要です。今後必ず厳しくなっていく財政に対する備えが見えません。財政見通しと新たな財源確保、財政改革への取組みが今から必要です。また、今後は町民にも痛みを伴う改革は避けて通れません。このためには、町政の実情を積極的に町民に情報提供していくことが求められます。
高浜町をどんな町にしたいかの長期的なビジョンがあまり見えてきません。町づくりの将来像を町民に示し、共に努力していく姿勢が必要です。
今後ともこれらの課題に対して果敢に提言してまいります。

以上が挨拶要旨です。時間がなく早口になってしまいました。

帰宅後、妻から聞きましたが、あるご婦人から「いつも議会REPORTやTV中継を見ている。町民サイドにたって努力されている様子がよくわかる。がんばってください」と声をかけられたとのこと。嬉しかったです。

夜、私の45歳の誕生日を家族が祝ってくれました。

佐久間勉艇長

2004年04月14日 | コラム
皆さんは佐久間勉艇長をご存じですか。
戦前は広く知られていましたが、今では知る人は少ないと思います。
三方町出身の海軍軍人で、明治43年4月15日に山口県新湊沖で潜水艇の潜航訓練中に艇が故障により沈没、艇員十三名とともに殉職されました。

事故後、潜水艇を引き揚げた際、佐久間艇長以下全員がそれぞれの持ち場で息絶えていたことと(外国の同種事故では全員がハッチに群がって亡くなっていた)、その後発見された佐久間艇長の遺書が発表されるや国内外に深い感動を呼び、その後、学校でも広く教えられるようになりました。
遺書は手帳にしたためられ、まず艇長としての責任に触れ、次に部下が最後まで沈着に職務にあたっていたことと、沈没の原因、状況等の詳細な報告があり、最後に天皇陛下に対し部下の遺族が窮することがないよう配慮を願う内容です。

米国国会議事堂の大広間には十個の陳列棚があって、一番目の棚にはワシントンの独立宣言が、そして四番目の棚には何とこの遺書の原文コピーが英訳と共に展示されているそうです。
佐久間艇長の遺書を読んだ夏目漱石は名文と激賞し、与謝野晶子は追悼歌を十余首も詠みました。

海底の 水の明かりにしたためし 永き別れの ますら男の文 (晶子)

静かな選挙?

2004年04月13日 | 活動日記
高浜町長選挙が近づいてきました。今回は静かな選挙だといわれますが、それでは前回は騒がしかったのかなと考えてみると、そう違いはないようにも思います。いずれにしても、互いの政策を戦わして、その成り行きを見て有権者が判断していく選挙戦になってほしいと思います。
夜、ある先輩と会食し、議員活動全般についてご意見を聞き、議論もしました。
良い議員活動をするためにはいろいろ方法論はありますが、結局、郷土を愛する心が最も大切だという結論に達しました。

和田老人クラブ総会

2004年04月11日 | 活動日記
高浜町保健・福祉センターで開催された、和田老人クラブ総会に出席しました。会場の保健・福祉センター2Fには180畳敷き!という大広間がありますが、今日がこの大広間のこけら落としです。みなさん、どしどしご利用下さいとのことでしたが、これだけの広間を使うとなると意外と大変かもしれません。敬老会、子供かるた大会、観光協会総会・・・。

もちろん、こんなことだけ考えていた訳ではありません。
高齢化は今後更に進んできます。ここらで発想の転換が必要です。元気なお年寄りというだけではいけません。ほとんどの企業は60歳が定年ですが、60歳で老後生活を始めるのは早すぎます。今後、団塊の世代がこの60歳を迎えますが、これらの人々が全て現役を引退されたらかないません。まだまだ頑張ってもらわなければならないのです。従ってちょうど60歳から65歳あたりまでの雇用の場の創出が必要です。そもそも生半可な若者よりも経験豊富なこの世代の方たちの方がはるかに質の高い労働力ではないでしょうか。
それと、定年後自分の経験を活かして起業するのもいいかもしれません。若い者に出来て、この世代に出来ない訳はありません。但し、やり直しのできる歳ではありませんので、失敗した場合のセフティーネットの構築は必要です。
次に、その次の世代の方々には、社会貢献をお願いしたいと思います。財政が厳しくなっていく中、町の事業の遂行には住民パワーが必要ですが、子育てにヒーヒー言っているような現役世代にはとてもそんな余力も甲斐性もありません。ここはやはりシルバーパワーをお願いするしかないのです。
・・・と、こんなことをぼんやりと考えていました。