小幡憲仁 議会活動日記

よく考える政治!
20年後の高浜をイメージし、今の政治を考える。

佐久間勉艇長

2004年04月14日 | コラム
皆さんは佐久間勉艇長をご存じですか。
戦前は広く知られていましたが、今では知る人は少ないと思います。
三方町出身の海軍軍人で、明治43年4月15日に山口県新湊沖で潜水艇の潜航訓練中に艇が故障により沈没、艇員十三名とともに殉職されました。

事故後、潜水艇を引き揚げた際、佐久間艇長以下全員がそれぞれの持ち場で息絶えていたことと(外国の同種事故では全員がハッチに群がって亡くなっていた)、その後発見された佐久間艇長の遺書が発表されるや国内外に深い感動を呼び、その後、学校でも広く教えられるようになりました。
遺書は手帳にしたためられ、まず艇長としての責任に触れ、次に部下が最後まで沈着に職務にあたっていたことと、沈没の原因、状況等の詳細な報告があり、最後に天皇陛下に対し部下の遺族が窮することがないよう配慮を願う内容です。

米国国会議事堂の大広間には十個の陳列棚があって、一番目の棚にはワシントンの独立宣言が、そして四番目の棚には何とこの遺書の原文コピーが英訳と共に展示されているそうです。
佐久間艇長の遺書を読んだ夏目漱石は名文と激賞し、与謝野晶子は追悼歌を十余首も詠みました。

海底の 水の明かりにしたためし 永き別れの ますら男の文 (晶子)