扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

葵祭と若冲見物記 #2 相国寺へ

2007年05月15日 | アート・文化

相国寺の参道を行く。
10:00を少し回ったところであるが暑い。

京都にいたとき、相国寺には来たはずであるが、ここに若冲があるとかそもそも若冲ゆかりの寺だという意識はなかった。
学生の私は、寺・せいぜい庭にしか興味はなかったのだ。

京都の寺を巡っていると、障壁画に触れる機会は多い。狩野派、琳派などの作品には馴染みがあったが、日本画、それも江戸時代という当時の私の意識からはずされた時代の美術品は引っかかろうはずがなかった。

葵祭のスタートの時期に人出が向くであろうと思ってこちらに来たが、チケットは並ばずに買えたものの行列がすでにありしばし待つ。

さて、今回の若冲展、「足利義満600年忌記念、~釈迦三尊像と動植綵絵120年ぶりの再会~」とある。

そもそも相国寺は開基、室町幕府三代将軍足利義満が、開山を夢窓疎石として1392年に竣工。

京都五山の二位、臨済宗相国寺派の本山でもある。
この由緒正しき足利将軍ゆかりの相国寺とその塔頭、鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)などに伝わる文化財を展示するため、1984年現管長の尽力により完成したのが承天閣美術館である。

今回の若冲展はタイトルにもあるように「動植綵絵」を宮内庁から貸してもらい寺に伝わる「釈迦三尊像」とセットで展示するとの趣向である。
私はどちらも初見であるが、法要で使われたままオリジナルの配置を専門家の鑑定で再現とあるのに惹かれるものがあった。

展示は第一会場、第二会場になっており、第二会場が「釈迦三尊像」+「動植綵絵」である。

順路にそって見ていくことにする。
まず、会場に入ってすぐ、相国寺ゆかりの品々があり、この中に「毘沙門天立像」があった。これがなかなかよい。
毘沙門天は帝釈天の配下であり北方を護る四天王のひとつ多聞天のことであるが、宝冠・光背の火炎、三叉の戟など金箔他の色彩がみずみずしい。
鎌倉期の作と伝わっているようだが、鎌倉期の四天王としては躍動感はなくとも顔がよい。
この像は長らく忘れられていたところに寺縁の富商の夢に毘沙門天その人が現れ、その指示により発掘されたと寺史にある。
戦後初公開だということで思わぬ眼福である。

次に「厖児戯帚図(ぼうじぎほうず)」に眼を奪われる。
本展の予備調査で鹿苑寺の倉から発見されたとある。
これは若冲、初期の作ということだ。
画題は禅の故事に由来するのであるが深い意図はともかく、子犬が振り返って何かを問いかけている。
色彩は動植綵絵などのそれではないが含蓄のあるよい絵だ。

その次、心が留まるのは「竹虎図」。
水墨画であるが、肉球をなめている虎が異様にかわいい。

若冲の時代には生身の虎は日本には入ってきていないので、これは宋やら元やらの渡来の絵あるいは皮を参考にするしかなかったようだ。
それにしてもこの可愛さは若冲オリジナルではないか。骨格はネコを参考にしたに相違ない。

虎の他にも「エイ」「鯉」「龍(特にこのガビアル〔ワニの一種〕っぽい龍は珍しい)」もありどこか一風変わっておりおもしろい。日本の天才画家とは彼に限らずデフォルメの天才なのである。

掛軸を見た次には障壁画コーナー。書院までセットを創って再現してある。
素材は「葡萄」「松に鶴」「芭蕉に鳥」「菊に鶏」「竹」など。
水墨画になると当然色彩からくるどぎつさはないのであるが、例えば、葉っぱに虫食いや斑点を描くなど、若冲らしさは随所にある。

障壁画は建物にはまっていてナンボという代物ではあるなあということを痛感する。
匂いやら湿度やら風やらとセットにならねばならない。

いよいよ第二会場に向かう。


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