扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

葵祭と若冲見物記 #1 京都御所

2007年05月15日 | 取材・旅行記

朝起きて、ホテル近くの喫茶店へ。
スマートコーヒーで、珈琲とフレンチトースト。

寺町通りを北上すると、市役所の脇を過ぎ二条まで来るとここから骨董街。

朝早いのでどこもやっていない。

丸太町まで行くとここが御所の東南の角。
折角なので御所を突っ切っていくことにする。

南の門、境町御門から入る。
御所の中は、葵祭の行列出発を30分後に控え、雰囲気が徐々に高まっている。
紫宸殿の正門、建礼門の前がメインステージらしくすでに縄張られていた。

そのまま紫宸殿周りを北上することにする。
御所の築地塀、右手に行けば京都迎賓館へ続く森のあたりで妙な騎馬武者発見。
よくみると「平安騎馬隊」。要するに馬に乗ったお巡りさんである。
馬に乗った警官はマンハッタンにも中国にもいるので珍しくもないがネーミングがよく、「平安騎馬隊」。

京都府警のウェブサイトによると1994年、平安遷都1200年記念事業として創設されたとある。
宝ヶ池に拠点があるらしく、通学路や観光地をパトロールしているらしい。
騎馬隊員になるにはまず京都府警の警察官採用試験に通って交番勤務してからでないと異動できない。
騎馬(各馬には京都の山の名前がつけられている)には子供なら申し込めば試乗もできるそうだ。

私が通りかかったときはまだ出動前で緊張感もなかったが、またどこかで合うこともあろう。
奈良県にも出没しているらしいし。


平安騎馬隊の馬を運ぶ専用車らしき特殊車両


この馬は多分、愛宕号


御所(京都御苑)は南北1300m、東西700mの長方形、面積63ha。通りでいうと東が寺町通、南が丸太町通、西が烏丸通、北が今出川通である。
馴染みのあるところと比べてみると東京の皇居が直径約1kmの円、中国の紫禁城(故宮)は東西753m、南北961mなので単純に敷地面積としては御所の方が紫禁城よりもでかい。

ただ、紫禁城は敷地内が建築物だらけで999個(実はちょっと少ない)の部屋があるのに対し、御所は路と森だらけで人もそんなに住んでいなかった。
ついでに紫禁城との比較をするならば、最も違いを感じるところはセキュリティ対策。

御所の塀はせいぜい3mくらいの高さ、また門もそれほど堅固ではない。攻められることを前提には作っていないし、少し皇室の勢力が減衰するとすぐに荒れ果てたようだ。侵入などたやすかったろう。
かの国の紫禁城は、鉄壁の要塞、塀も高さ10mで出入りできる門はそれだけで城並み。また紫禁城内は暗殺者が隠れられないように建物自体も工夫がしてあるし、植え込みもほとんどない。

単一民族国家の日本では天皇の居城が、戦によって焼かれることなど想像できなかったろうし、日本の歴史上、在位天皇が直接攻められるケースはほぼない。一方、中国では政権交代の象徴は前政権の首都の落城・かつ炎上である。
また、統治するエリアや人間の数、民族の数なんかのスケールが全く異なる。上がってくる租税の額もでもあるが。
かの中華帝国では、異民族や遥か彼方の統治地へ「これはかなわない、参りました、年貢納めますから勘弁してください」というレベルで威厳を示さねばならない。
御所の建造物は、おしゃれであるが「平和の国」の居城である。

そんなことを考えながら初夏の陽気の御所を歩いた。

結局、葵祭の見物は午後の宿題にして若冲の方に行く。
今出川御門を出て、通りを渡り、同志社と同女の間の路を少し行けばそこが相国寺の山門である。


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