扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

100名城No.44 名古屋城の想い出

2009年09月02日 | 日本100名城・続100名城

名古屋城に行った。

この観光名所としては地味な城は、私に取って何とも感慨深い城である。
また、眺めた時間としては他に比例なく長い。
すなわち職場から見えた城であった。

1987年、昭和62年に大学を卒業し、社会に出た私は名古屋のNTTに配属された。
さして野望もないままに会社という組織の一員となった私は名古屋城の天守が何もさえぎるものなく見渡せるデスクで2年ほどを過ごす。

1985年に電電公社から民営化されて間もないNTTという会社は実にとんでもないところであった。
課長3人、係長1人、担当1人(これが私)といういびつなグループに放り込まれた。
社会を知らない新人ならではの悩みを共有できる仲間が身近にいない環境で相当につらかった。
上司や先輩はこの上なくいい人たちであったのは救いではあったが、この異空間に棲んだ2年間は私の勤め人としての生き方に決定的に作用したことと思う。

名古屋城とはそうした想い出の城である。酸味の効いた感情なしに見ることができない。

私が勤めたビルはまだ、NTTが入っていて事務処理部門がいる。OBとはいえよそ者がおいそれといける場所ではなくなっていた。
実は先輩が転勤でこのビルに入ることになったので20年前の光景をみられることになったのだ。

このビルの10Fには喫茶店が入っており、上司によく連れていかれ、さぼりにつきあった。

今、ふたたびここから名古屋城の天守をみる。

城の天守はふつうは見上げるものであって見下ろすことはそうない。
ここからはまさに見下ろすように見る。

名古屋城は復元天守である。しかも鉄筋コンクリートで土台をつくり、表皮だけを資料にもとづき再現したいわば「模型の天守」である。
この「オリジナルでもなく、外見だけをつくろった」ということだけに拘泥し私は長らく名古屋城を城として見ず、評価もしなかった。
むしろ、派手好きで見栄を張る一方、仲間意識に敏感でよそ者には門戸を閉ざす尾張衆の象徴とみえて仕方がなかった。

むろん、幼少時より何回か登城したこともあったが、エレベーターまで完備した天守の内部にはろくに見もせず、最上階からの眺望のみを期待した。

今、ここから見下ろしても名古屋城が完璧な平城であることがわかる。
周りに要害となるべき山も河もない。
まさに濃尾平野の尾張の部分、その真中に無造作に置いたようにみえる。

この城は、家康が老いてからもうけたかわいい息子のために縄張りし、家として建ててやった。
ここに籠もって決戦するつもりなどなく、おそらく西方でしか起こらないはずの反乱の際、兵力を集中させるための前線・兵站基地としてその役割を考えたろう。

この城は結局、軍事用としては何も機能せず、美術品として再評価された後、B29に焼かれた。

私は朝、出社し、天守を眺めながら上司の机を拭き、デスクワークに疲れるとまた天守を眺め、伊吹山系や美濃方面の山を見、夜には残業しながらライトアップされた天守を眺め、その灯も消え終電が無くなった頃タクシーで帰ったりもした。

名古屋城も日本の歴史との関係でいえば極めて希薄であり、私の人生にとってもこの時代の経験からくる成果は希薄である。
ただし、職場も会社も何度も変えた私にとってこの時代の人々との付き合いがいまだに最も多いことに改めて気づいた。

あれほど嫌いだった名古屋城を最近、愛おしく思うようになってきた。

 

 




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