嘉数高台から中城グスクまでは10kmの距離である。
この距離感は浦添グスクからの距離と考えてもよく、近い。
例えば名古屋城と清洲城、桶狭間と岡崎城の距離感である。
グスクに近づいていくと、小高い丘の上に築城されていることがわかる。
本土風にいえば山城かというとそこまで急峻な山岳でもなく、かといって平山城といえるほど城下町の余裕はなさそうである。
といってはいるが、本土の城郭と沖縄のグスクを比べることに全く意味はない。
戦国時代を頂点とした「鉄砲なき戦闘用の城」、都市の中核となる「政庁としての城」このふたつが本土の中近世城郭の成立要件といえようが、沖縄に本土のような戦国時代の様相はなかった。
首里城は19世紀まで営々と磨かれ巨大化していき、堂々たる王府の象徴となるが、一応の中央集権国家として防衛上必要だったのはその首里城のみである。
つまり、グスクの発展形態としては15世紀の尚巴志による三山統一以降、地方の核となる城としてのグスクの意味合いは薄くなっていたはずである。
グスクの歴史というよりも沖縄の歴史そのものがまだまだ不明なところが多い。7世紀まで神話の世界だった本土と同じように、統一王朝成立以前の沖縄の有り様も他国の文献、状況証拠、神話に頼る部分が大きい。
想像はつく。
農耕を拒み続けた沖縄がようやく縄文文化を脱し始めるのが本土の鎌倉時代ごろであり、貝塚時代と呼ばれる前段階では狩猟採集社会として自然崇拝、祖先崇拝を行ったのであろう。
御嶽という信仰の場はグスクの登場より早い。つまり集落の精神的支柱空間としての御嶽、祭祀者がまずあり、人口集住、経済規模が進むにつれてグスクが形成されていったのであろう。
本土の場合は集落があり、支配者の館があり大きくなって城となった。
しばしば場所を変えて作り直し、そこに守護神を勧請して神社を造った。
沖縄の場合は神とのつながりが濃厚である。
さて、中城グスクに到った。
入場料400円を払って100名城のスタンプを押す。
残りの空きスタンプ欄は1つだけになった。
進んでいくと広場が現れ、世界遺産の石碑がある。
すでに高々と石垣がそびえ、招き入れるようにアーチ型の門が開いている。
中城グスクは丘の稜線を削平し曲輪を3つ並べた連郭式とでもいうべき総石垣の城郭である。
方角でいえば西から東方向に横たわっており、駐車場から行くと裏門であり、正門は西側になる。
裏門は見事なカーブを描いたアーチ式の門で天井に当たる曲線は石の切り方で形成される。
見事な技術で石垣は隙間なく垂直に近い角度で高々と積まれている。
私も含めて本土の近世城郭になれている者も最初の石垣でグスクの高い技術と美意識にやられるはずである。
裏門からいく最初の曲輪は北の郭といい石段を下ったところに「ウフガー」という井戸がある。
左手の階段を登ると三の郭に入り、最初にみた高石垣はこの郭の北面になる。
三の郭は後の増築といい、石垣が亀甲模様で積まれて美しく広々としている。
再び北の郭に降り、進んでいく。
細長い西の郭は馬場だったという。また階段があり上がると二の郭、石垣の上から三の郭を見下ろすと石垣は壁のように両側からそそり立っており、幅は2mほどであろうか、隙間なく小石が込められている。
本土の石垣は壁状の造型ではなく片面は石垣の上部まで土が入っているため、石垣の表面の裏には栗石が入れられている。
グスクは両側から規格化された石をずんずんと積んでいき、隙間に小石を込める工法なのであろう。
つまり郭は中国の城塞都市のように壁で囲まれた空間といえる。
二の郭から一の郭には石の門をくぐって直接行ける。
一の郭は最も広く、正殿があった。
この辺りの行政出張所が置かれ、明治になっても沖縄戦まで役所があった。
一の郭の奥は南の郭という小さな郭がある。
ここは神を拝む聖域となっていて、首里の王、神の島久高島などを遙拝する場所となっている。
これでグスクの主要部分はみたことになる。
さて、この城はいつ築城とわかっている訳ではない。
しかし、護佐丸という英雄が城主となり、大規模改修を行ったことは確かである。
護佐丸は読谷の按司だった。尚巴志の三山統一の最終段階、北山攻めに参加して功あり、座喜味城を築いて城主となった。
さらに中城に転封されてグスクを改修、首里北部の鎮護にあたった。
中城グスクは中城城とも書かれる。
城も文字が重なるのは「なかぐすく」という地域に築かれた「ぐすく」だかららしい。
1458年、護佐丸は勝連グスクの主、阿麻和利によって謀反の企みありと首里に讒言されて攻められ、自害して果てた。
讒訴した阿麻和利は有能な護佐丸を除いたところで謀反に踏み切ったものの首里王府に敗れて死んだ。
とはいえ真相は定かではない。
護佐丸が謀反人だったかどうかは別として築城の名手であったことは確かなようだ。
このグスクで印象的だったのは、東の海、西の海が見渡せることで高台にあることで良い風が吹き渡る。
猛烈な台風が襲う沖縄のこと、本土のような土造り、簡易な櫓では吹っ飛ばされてしまうだろう。
されば、立派な石垣は神の座の風よけかとも思われる。
首里城を別格とすれば、初めて歩く沖縄のグスクのひとつめですでに満腹感を得てしまった。
時刻は正午を回ったところ。
次は座喜味城に行ってみる。
グスクのディオラマ、よくできている。北側には川が流れている。
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