長野市の善光寺本尊阿弥陀如来は鎮座する以前、この元善光寺にいた。
仏像は飯田の住人本多善光(よしみつ)公が国司のお供で都へ行った際に難波の堀で拾われたものである。
後に本尊のお告げで642年に現在の位置に遷座した。
その時本尊は「毎月半分はこちらに来て衆生を救う」と告げていったといい、どちらにも本尊がおわすので両方参らなければ「片詣り」になるのである。
こちらで本日の散策終了。
長野市の善光寺本尊阿弥陀如来は鎮座する以前、この元善光寺にいた。
仏像は飯田の住人本多善光(よしみつ)公が国司のお供で都へ行った際に難波の堀で拾われたものである。
後に本尊のお告げで642年に現在の位置に遷座した。
その時本尊は「毎月半分はこちらに来て衆生を救う」と告げていったといい、どちらにも本尊がおわすので両方参らなければ「片詣り」になるのである。
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