扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

沖縄グスク巡り 2日目 #8 今帰仁城

2016年03月03日 | 日本100名城・続100名城

今帰仁は北東から南西に向かって細長い本島の北西に突き出たこぶのような形の部分にある。

「おんなの駅」から50kmあまり、名護湾を左にみて走っていく。 

今日の宿に先に行き、チェックインしてから今帰仁城に向かう。

 

今帰仁城は沖縄が三山争う戦国時代、北山の核であった。

沖縄統一の発展段階は大まかにいうと以下のようになる。

長らく狩猟採集段階の経済だった沖縄諸島は本土や中国、東南アジアとの交易で力をつけていった。

ようやく農耕を初めて集住するようになった本島ではグスクを中心とした按司というリーダーが周辺を従えて成長し、今帰仁の北山、浦添の中山、糸満の南山の三人の王が並び立った。

南山佐敷グスクの尚巴志が中山を乗っ取り父を王として即位させた。

尚巴志は首里に遷都すると共に北山攻略に乗り出し、1416年武力討伐に成功する。

そして1429年に南山を落として三山を統一、沖縄初の統一王朝琉球王朝の歴史が始まる。

 

その意味では北山は敗者であるわけだが、グスクは首里城を除けばおそらく最も大きい。

その起源は明らかではないが、13世紀には存在したという。

本土では鎌倉時代である。

三山時代に営々と拡張されていったのであろうが、統一後は北部地域行政の府として監守が駐在した。

その後、薩摩藩の琉球侵攻にあたり、本島最初に侵入を受けグスクが炎上、降伏した。

軍事施設として意味を持たなくなった後は、地域の守神となる御嶽の存在する聖地となった。

つまり、城としての役割が早くに終わった分、古風を保っていたと考えたい。

 

さて、今帰仁城に到着したのは16:00過ぎだった。

閉門が近い訳だが観光客、それも東アジアの人々で相応に賑わっていた。

今帰仁城は、沖縄観光名所の美ら海水族館から近く、それ目当てでやってくる観光客の寄り先になっているのだろう。

まず、100名城のスタンプを押す。

足かけ7年、ようやく結願。

 

城址の方に行ってみる。

今帰仁城もグスクのひとつとしてその特徴をよく示す。

丘に築かれた高石垣は複雑な曲線を描き、少しずつ高度を増すに従って郭が重なっていく。

梯郭式といえばいいのだろうが、このグスクは実に巨大である。

おそらく石垣の内に多くの人が住めただろう。

石垣の整備状況としてはその大きさもあってか、道半ばであり、今も着々と石積みが進んでいるようだ。

観光客の撮影スポットとなっている外郭の高石垣を右手へ進んでいくと兵郎門、城の正門でアーチ型ではなく、大きな一枚石が天井になっている。左右に隠し間がそれぞれあり、本土でいう狹間のような穴が開いているのがおもしろい。

登城道となっている並木を登っていくと「大庭(うーみや)」。

本丸にあたるのだと思う。

大庭には礎石があり、殿舎があったとされ、その隣が「御内原(うーちばる)」。

ここからの眺めはまさに絶景でブルーラグーンの向こうに東シナ海が横たわっている。

主郭が最も高い位置にあり、今では「火之神(ひぬかん)」を祀る祠が建っている。

他にも随所に御嶽があり、現役の聖域であるらしい。

主郭から裏側に降りて行くと志慶真門郭と呼ばれる一帯があり、武人の住居があったという。

 

今帰仁城の攻略が難航したことは歩いてみればわかる。

これほどの高石垣を巡らせ、優れた射手に守られていればたやすく城内に侵入できるものではなかろう。

「おもろそうし」という沖縄古謡に「百曲がり積み上げて」と謡われた石垣は丘の際に築かれ、外は深い谷底である。

尚巴志の軍が押し寄せて二日落ちず、彼は一計を案じて城内に密使を送り、寝返りを画策した。

内応を約した北山の武将は北山王に「臆病者とそしられてはかないません。私は裏門から出撃、王は正門から出撃して、敵を蹴散らしましょう」と進言してそそのかし、王が城門を出るや門を固く閉ざした。

憤った王は帰陣すると裏切り者を斬り、憤懣のまま霊石を「我を護らず」と斬りつけるも割れず、城外の川に投げ捨て自害して果てたという。

この刀は「千代金丸」といい沖縄に現存するのだそうだ。

こうして今帰仁城は落ち、北山は滅ぶのだが、このグスクはなかなかいい話を持っている。

 

沖縄のグスクをいくつか巡ってみたところで気持ちを整理してみる。

本土の城は歴史の連続性ということで三河生まれの私など、馴染みのあるというか、親戚のおじさんがいきり立っている姿がありありと脳裏に甦ったりするのだが、グスクではそれがない。

グスクの構造にも沖縄の歴史にも知識が薄いのが原因かとも思ったが、例えそれなりの知見を得たところで沖縄の王たちに、信長家康と同様の親近感は生まれまい。

それよりもむしろ、沖縄の神々の方が遥か先の先祖として交信しあえるような思いがする。

沖縄の街道を行くと石灰岩が盛り上がった丘それぞれに神様がいて、「ヤマトの小僧がやってきた」と笑っているような気がし、グスクの壮大さに打たれている様をみて「どうだ小僧」と誇っているような気がしている。

 

グスクに隣接した今帰仁歴史文化センターに寄って少しは勉強した気になって100名城最後の城を後にした。

  

  

  

  

 

今帰仁城


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