さーご飯も食べて、元気一杯、次の目的地へ出発です。
と云っても目と鼻の先ですが、
食事処から歩いて3分、この場所です。
単なる空き地?
いや、もう一段上のこんな広場。
この地の看板、これです。
そー石舞台、地形図から見ると、山裾にあたり、明日香の中心地からはちょこっと離れているかな。
まー当然かな、これも古墳と云う墓所です。
しばらくこの古墳、石室の見学しましょう!!
羨道から石室内にも入れます。
中の状態、こんな様子。
大きさわかりますね、説明板ではこんな風に書かれています。
石室は長さ約7.7m、幅約3.4m、高さ約4.8m、羨道の長さ約11.5m、幅約2.2mで、羨道中央部には排水溝も設置されています。
最大77tの石、約30個、総重量約2,300tの石を、周辺河川の上流域から運搬し、構築した様です。
墳形からは封土がないため、はっきりしないが、2段積の方墳、上円下方墳、あるいは、下方八角墳等との考えみたいです。
石舞台と云われる様に、写真では野原に石が積まれた写真が一般的なので、てっきりこの石室のみの遺跡かな?と思っていました。
戦前の昭和8、10年、京都大学中心に、この古墳の発掘調査が実施されており、その結果は周囲に濠を巡らした方形墳との結論が。
方形墳の形状はこんな様子で再現されています。
この斜面の域に、花崗岩の貼石を約30度の傾斜で積み並べた訳ですね。
石室内にあった石棺の欠片(凝灰岩)から、こんな石棺模型も製作されています。
説明板では、被葬者はこの一帯に居住していた蘇我馬子ではないか と云われています。
ここは無料ではなく、入場料も必要です。
全ての施設で料金が発生する訳ではないが、無料、有料、その線引きどーなの?って思うビンボー人が一人。
次の見学地に移動。
途中、ガイドさんがある家の軒先でこんな説明を。
「門のお札、決してしめ飾りじゃありません、取り忘れている訳でもありません。」
「これは・・と云って、いわゆる・・のためにやっている、この地の昔からの風習です!!」
そーいや、同じ様なモノがオラッチャ県内の一部にも。
どんな風習、少し調べてみました。
はっきり云って・・分かりません。
多分に「御幣」、魔除け等の意味合いかな?
知ってる方、よろしく!!
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