石打ICで高速を降りて国道291を小出方面に向かって六日町に近づくと、 田んぼに囲まれた道路脇で何箇所も 「雲洞庵」なる看板を目にする様になる。 山菜採りシーズンには何度もその付近を通っているので眼にしてはいた。 しかし、 今年そこを訪れるまでは蕎麦屋の屋号くらいに想いこんでいたのだ。
昼食の蕎麦を安穏亭(龍言の真向かい)で啜った後に「雲洞庵」を初めて訪れた。 その雲洞庵の大広間の床の間に置かれた二行の書に
無欲一切足
有求一切窮
とあった。
善い言葉だな・・・ と想って、帰宅してから 「原典が有るのではないか?」 と想い、 検索してみると、 越後の僧・良寛さんが漢詩を書いていた。
それは、 二行目の ”一切” 部分が異なっていて、 こんな物だった。
無欲一切足
有求万事窮
淡菜可療飢
衲衣聊纏身
独往伴ビ鹿
高歌和村童
洗耳巌下水
可意嶺上松
まあ意味的には同じ様なもの、 それに原典の抜き出しをコピーするだけが能じゃないですから、 これで善しですね。
堂内の写真を何枚か並べて置きます。
山門
境内の石仏(坂戸山登山道脇に建つ石仏と同じサイズ)
本堂の内部
奪衣婆
昼食の蕎麦を安穏亭(龍言の真向かい)で啜った後に「雲洞庵」を初めて訪れた。 その雲洞庵の大広間の床の間に置かれた二行の書に
無欲一切足
有求一切窮
とあった。
善い言葉だな・・・ と想って、帰宅してから 「原典が有るのではないか?」 と想い、 検索してみると、 越後の僧・良寛さんが漢詩を書いていた。
それは、 二行目の ”一切” 部分が異なっていて、 こんな物だった。
無欲一切足
有求万事窮
淡菜可療飢
衲衣聊纏身
独往伴ビ鹿
高歌和村童
洗耳巌下水
可意嶺上松
まあ意味的には同じ様なもの、 それに原典の抜き出しをコピーするだけが能じゃないですから、 これで善しですね。
堂内の写真を何枚か並べて置きます。
山門
境内の石仏(坂戸山登山道脇に建つ石仏と同じサイズ)
本堂の内部
奪衣婆