つい先だって母親を見送った知人の「御礼」と題したブログ記事のコメント欄に 「看病などにご苦労なさった皆様や、ご兄弟の方々の日常生活への復帰がスムースに移行する事を、今はお祈りします。」 と書き込んだ。 この文面は当たり障りの無い無難な表現に留めたつもりなのだけれど、 裏には「慌ただしいお母さんとの別れの葬儀の後に訪れるはずの”遺産相続”問題を乗り越えて、早く穏やかな日常生活に移行されん事を!」の気持ちを込めたタナカ君的な表現であったのです。
遺産相続は揉めて当たり前、兄弟関係の悪化などの明るい話題に乏しいイベントの代表格みたいなものらしい。 僕達夫婦は双方ともに何年も前に両親を見送っています。 そんな僕達の遺産相続イベントを書いてみましょう。 ただし、僕達の経験した相続手続きはドロドロした話は無く、随分とあっさり味でしたので期待しないで下さい。
僕の場合 :
僕が小さな子供の頃(昭和20年代)に祖父は亡くなりました。 母は弟が中学生だった時に50代で亡くなりました。 次に、父は70を目前にした年で亡くなりました。 その時、 実家には祖母とまだ独身の弟が暮らしていました。 そして百歳までもう少しの長寿を全うして祖母は逝ったのです。 そこが僕にとって初めての相続手続き体験となりました。 その時初めて知ったのですが、 家屋敷の名義は何十年も前に亡くなった祖父の名義で登記されたままになっていたのです。 だから相続を受ける権利は父の兄弟姉妹にもある訳です。 ところで相続の対象となる財産と言えば、弟と祖母が暮らしていた家屋敷があるだけ、 金融資産なんて何も有りません。 いや、待てよ仏壇の引き出しから額面1円だったか10円だったかの「戦時国債」が1枚出てきた記憶もあるな。
祖母の生活を経済的に支えていたのは一緒に生活していた僕の父ではなくて、その兄弟たちでした。 母が亡くなった後では父の生活でさえ、その祖母への支えの資金が父の生活の支えの一部になっていたかも知れない状態でした。 そんなオジやオバの中の仕切り屋のオバが相続の件も仕切ってくれました。
「自分達(オジやオバ全員)は相続権を放棄する」
だから
「お前と妹も相続放棄して、弟に全て渡してあげなさい」
僕も妹もその話に特に異存は無く、 後日、弟が用意してきた書類に記入・押印し一件落着しました。 件の戦時国債の紙切れ一枚「これは俺が貰ってもいいだんべ」と言って、オジが持って帰りました。 祖母のタンスの中の着物などはオバが整理してくれたはずです。
妻の場合 :
妻の父も70を目前にした年(?)で亡くなりました。 その時、何らかの相続だか形見分けだかあった様ですが、詳しい事は覚えていません。
それから20年近く長生きした義母は昔からの友人と秩父の鉱泉宿への湯治の旅から帰宅したその日の晩に疲れを訴え、度々世話になっていた病院に入院したとおもったら、その夜には慌ただしく息を引き取り、旅立って行きました。
義母は亡くなるのは慌ただしかったけれど... 遺産相続のゴタゴタを避ける用意はきちんとしてありました。 妻とその弟たち3人の相続人達は残された遺言書の指示の通りに遺産分割協議を纏めて、納税も済ませました。 いや、妻の兄弟達、なかなか立派、お見事でした。
遺産相続は揉めて当たり前、兄弟関係の悪化などの明るい話題に乏しいイベントの代表格みたいなものらしい。 僕達夫婦は双方ともに何年も前に両親を見送っています。 そんな僕達の遺産相続イベントを書いてみましょう。 ただし、僕達の経験した相続手続きはドロドロした話は無く、随分とあっさり味でしたので期待しないで下さい。
僕の場合 :
僕が小さな子供の頃(昭和20年代)に祖父は亡くなりました。 母は弟が中学生だった時に50代で亡くなりました。 次に、父は70を目前にした年で亡くなりました。 その時、 実家には祖母とまだ独身の弟が暮らしていました。 そして百歳までもう少しの長寿を全うして祖母は逝ったのです。 そこが僕にとって初めての相続手続き体験となりました。 その時初めて知ったのですが、 家屋敷の名義は何十年も前に亡くなった祖父の名義で登記されたままになっていたのです。 だから相続を受ける権利は父の兄弟姉妹にもある訳です。 ところで相続の対象となる財産と言えば、弟と祖母が暮らしていた家屋敷があるだけ、 金融資産なんて何も有りません。 いや、待てよ仏壇の引き出しから額面1円だったか10円だったかの「戦時国債」が1枚出てきた記憶もあるな。
祖母の生活を経済的に支えていたのは一緒に生活していた僕の父ではなくて、その兄弟たちでした。 母が亡くなった後では父の生活でさえ、その祖母への支えの資金が父の生活の支えの一部になっていたかも知れない状態でした。 そんなオジやオバの中の仕切り屋のオバが相続の件も仕切ってくれました。
「自分達(オジやオバ全員)は相続権を放棄する」
だから
「お前と妹も相続放棄して、弟に全て渡してあげなさい」
僕も妹もその話に特に異存は無く、 後日、弟が用意してきた書類に記入・押印し一件落着しました。 件の戦時国債の紙切れ一枚「これは俺が貰ってもいいだんべ」と言って、オジが持って帰りました。 祖母のタンスの中の着物などはオバが整理してくれたはずです。
妻の場合 :
妻の父も70を目前にした年(?)で亡くなりました。 その時、何らかの相続だか形見分けだかあった様ですが、詳しい事は覚えていません。
それから20年近く長生きした義母は昔からの友人と秩父の鉱泉宿への湯治の旅から帰宅したその日の晩に疲れを訴え、度々世話になっていた病院に入院したとおもったら、その夜には慌ただしく息を引き取り、旅立って行きました。
義母は亡くなるのは慌ただしかったけれど... 遺産相続のゴタゴタを避ける用意はきちんとしてありました。 妻とその弟たち3人の相続人達は残された遺言書の指示の通りに遺産分割協議を纏めて、納税も済ませました。 いや、妻の兄弟達、なかなか立派、お見事でした。