-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

畑沢での巨大な公共事業(1)

2014-07-06 16:55:16 | 歴史

 畑沢でも、巨大な公共事業が行われました。それも一つだけでなく3つもありますので驚きです。


 先ずは、沼澤の奥にある砂防ダムです。千鳥川の川幅をはるかに越えて川の東西にある山の裾にまで達するほどの大きさです。実際に計測したわけではないのですが、中央部の高さは、三階建ての屋根よりも高いように見えました。スビタレで高所恐怖症の私は足がすくみました。写真の人と比較するとその巨大さがよく分かります。総事業費は聞いたことがありませんが、ざっと見て4、5億円はかかっていると思います。大金であることも驚きですが、そもそも、ここに必要な理由があるのでしょうか。畑沢は昔から洪水、土砂崩れなどがありませんでした。畑沢の集水域は狭いし、高い山岳がある地域と比べて傾斜が緩やかです。火山灰などの柔らかな崩れやすい土壌でもありません。砂防ダムなどというものが必要な理由が分かりません。


 
 砂防ダムの近くには、立て看板が立てられていました。それを見ますと、昭和57年9月17日に砂防指定地になったと書いてあります。砂防指定地なので、家屋の新築、土砂の採取には許可が必要と書いてあります。土砂の採取に対する規制をかけようとするなら最初から土砂の採取をさせなければよいではないでしょうか。

 この砂防ダムは、採石が行われている立石山の直下です。採石の許可を与えたのは山形県知事で、砂防指定地を決めたのも山形県知事です。あれ、おかしいですね。しかも、採石業者は、写真のように何の保全処理もしないままに、全国おきまりの「破産」にして責務を果たさないままです。ダムを造るよりも、採石現場の保全を図るほうが肝心だと思うのですが、どういうことでしょう。もっと言えば、砂防指定地にする場所で採石をさせる感覚が分かりません。この採石場でとれた砕石は、このダム建設に使われていたようです。採石現場の直ぐ近くに砕石を使う工事現場があれば、採石業者と建設業者のコストは大幅に下げることができます。二重の儲けに繫がります。
 
そして、この看板が立てられてから2、3年の間に砂防ダムが瞬く間に建設されました。まるで砂防ダムを造るために、採石が始まり砂防指定地にもしたように見えます。

 ところで、砂防ダムが完成してから面白い話を聞いたことがあります。どなたかが、砂防ダムの穴をふさいで水を溜め、魚を放流していたというのです。水が溜まるまで管理者が放置していたことになりますが、その程度の必要性ということの証のようです。作ることが目的のようです。全国では、このような事例がごろごろあるようです。
 この砂防ダムの西側の山の上には背中炙り峠があり、巨大な石仏「湯殿山」が鎮座しています。嘉永5年(西暦1852年)に畑沢村の総力で建立したものです。このころ、畑沢村は、幕府や宿駅に対して強く対抗していました。そのため、私は湯殿山建立というものが畑沢村の決意を形にしてものと思っています。その真下でこのような理解不能なことが行われたことになります。御先祖様達もさぞや不愉快に思われていることでしょう。湯殿山の石材を運搬する時は、立石山からの雪崩に対して神仏の御加護らしきことがあったようですが、砂防ダムには何もなかったのでしょうか。


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