背中炙り峠には、巨大な「湯殿山」の石仏があります。
一般に湯殿山は、主に江戸時代に湯殿山参りをするために通る街道に、
道標として各地に建てられたものと思っていましたが、そうではなくて、
湯殿山を信仰の対象として拝むための石仏でした。畑沢だけでなく、銀
山、六沢、延沢、細野等でも見たことがあります。常盤地域では珍しい
ものではないようです。かつて、湯殿山参りは、太平洋側からも続々と
押し寄せ、茨城県辺りからも来ていたようです。宮城県から入る場合に
最も使用したのが、宮城県の軽井沢から上の畑(銀山温泉の奥)に入る街
道で、さらに背中炙り古道に繋がっていたようです。背中炙り古道は、
湯殿山参りの主要道の一つだったそうです。畑沢を大勢の人が通ってい
たことでしょう。畑沢からの古道入口には、茶店があったほどです。
しかし、いくらなんでも巨大な石仏を標高差約200mもある峠まで、ど
のようにして運んだのでしょうか。石仏は、三段の石材で造られていま
すが、その中で最も大きいものは、高さ1.8m、縦横0.7mぐらいはありそ
うです。重量は、2トンはあるでしょうか。とんでもないものをどのよ
うにして運んだのでしょう。
このことに関する文献を探したのですが、全く見つかりませんでした。
ところが、思いがけないところで、その秘密が分かりました。しかも、
面白い話とともに……
話が長くなりましたので、続きは次回といたします。
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