-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

背炙り峠(3) -巨大な湯殿山碑 続編-

2013-04-22 20:34:07 | 歴史

 巨大な湯殿山碑について、畑沢には語り継がれたものがありました。上畑沢の古瀬T氏が面白い話をして下さいました。話された内容を大まかにまとめると、次のようになるかと思います。

 ---以下は、古瀬氏のお話です。----

 ヌマサには奥に行くに従って、順に小さな沢に名前が付いている。「小平三郎(こへいざぶろう)」「平三郎」「一の切」「二の切」「三の切」「深沢」、その向かいは「向い」と言う。一番の奥が「ローデン」で、そこから石材が切り出された。今でも切り残した石がある。ゴロウ山のゴロウ石である。石材は、雪の上を橇で運んだ。橇は特別製で、厚さが3寸、長さ7尺の楢材でできている。つい最近まで、畑沢のポンプ小屋に保存されていたはずだ。橇を畑沢の50人で引いた。

 橇で運んでいく途中、立石山(畑沢語でタデスヤマ)の下を通っている時に、斜面から雪崩が落ちてきた。ところが雪崩は橇を避けて、川の方に落ちて行った。雪崩の雪が川に橋を架けたので、橇はその上を通ることができた。

 以上がお話の全容ですが、何分にも現地確認などもしていない聞きかじりのまとめ方ですので、古瀬氏の真意どおりかどうかは自信がありません。しかし、中々、面白いお話をお聞きしました。橇で運搬中に神仏の御加護があったようです。そして、何よりうれしいのは、畑沢には、私たちの世代が知らない「貴重な言い伝えが沢山ありそうだ」ということです。今回は湯殿山碑のことですが、他にもたくさんの言い伝えがありそうです。例えば、畑沢にある「姓」の言い伝えと歴史、地名、今はいなくなった魚や貝類などの生き物、行事、風習等々です。

 本題に戻ります。湯殿山碑の石質は、凝灰岩ではないかと思います。火山灰が固まったものです。楯岡石も凝灰岩ですが、それとは少し違うようです。凝灰岩の中に、頁岩のような大き目の礫が混じっているようです。墓石に使われている堅い花崗岩と比べて、凝灰岩の石碑は劣化が激しく、文字の判読がかなり難しくなっています。設置した年代も分かりませんでした。どなたか早く読んで下さると助かります。ところで、橇を引いた畑沢の50人は、ほぼ全戸に相当します。文献では、江戸時代の畑沢の戸数は、50戸だったようです。

 石材を切り出した場所にも実際に行って見て、確認してみませんか。地図で見ると大きな窪地になっているようで、何とも不思議な場所のようです。

追記

 その後、石碑の設立時期に関する文献が見つかりました。「袖崎の郷土史」によりますと嘉永5年だそうです。西暦1852年です。   


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