温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

乗客一人 三江線の旅 その2・乗車

2010年11月20日 | 旅行記
前回の続き


江津駅に戻ると、15:08発の三江線・三次行は既にホームへ入線していました。キハ120が1両。今回はこの列車で終点の三次まで乗りとおします。各ボックス席には1~2人ずつ、ロングシートにも6人程が着席。ローカル線だったら、この程度の乗車客数は普通ですね。この時点では超閑散だとは言えません。

 
この先を右へ曲がって行く線路が三江線。広島県の三次まで伸びているんですね。列車は定刻通りに出発しました。

 
泰然と流れる江の川に沿って上流へと遡って行きます。川幅こそ広いものの、平野や河岸段丘が狭いか殆ど無いため、他の河川ではよく見られる川沿いの大規模集落が江の川では極めて少なく、それゆえに車窓には人家があまり目に入らず、低い山と河原ばかりの景色が続きます。長閑と言えば確かに長閑ですが、明らかな廃集落の跡や、崩れた土壁や瓦屋根の民家がしばしば目に入ってくるので、その度に悲しい気分になります。

 
途中の川戸駅まではお婆さんが10人程乗車、ここで客が入れ替わり、下校の中学生が約20人乗り込んできました。みんな純朴そうな生徒ばかりで、特に男子は今時珍しい五分刈りの子もいたりして、車内が急にタイムスリップしたようでした。俄然賑やかな車内になりましたが、これも石見川本辺りまでで、駅ごとに乗客は減ってゆき、再び車内は静寂に覆われました。

 
16:52浜原着。隣の線路には当駅始発の江津行が止まっています。ここで9分停車。

 
ちょっと外へ出てみましょう。始発列車もある運転上の拠点なのに、とっても寂しい無人駅。駅前には小さな集落があるばかりで、とてもひっそりとしています。人の気配ゼロ。

 
駅前には「三江線全線開通」の記念碑が。待望の全線開業だったのでしょうが、そもそも沿線人口が少ないうえ、ルートの悪さが祟って陰陽連絡の役割を全く果たすこともできず、開業から今に至るまで低需要のまま。時刻表を見ても一日4~5本しかありません。


浜原17:01発。この時点で乗客は私を含めて3人。江津~浜原は戦前に開通した比較的古い路盤で、カーブが多く、また近年のJR西日本による保線コスト抑制により随所で速度制限が設けられているため、ひたすらチンタラと走り続けていましたが、鉄建公団が建設して昭和50年に開通した浜原~口羽は、高架・橋やトンネルで険しい地形を貫いて直線状に敷設されたので、この区間は一気にスピードが上がります。
多額の国費を投入してやっと開通にこぎつけたこの区間。列車も快調に飛ばします。にもかかわらず全然客が乗って無い…。浜原出発時点で、私を含めて3人だけ。しかも石見都賀で2人が降り、ついに私一人だけになってしまった。


宇津井駅。山で挟まれた谷間に架けられた高架の上30mに設けられた特異な駅。高い所に位置するヘンテコな駅としてマニアから愛されているらしく、途中下車してみたかったのですが、なにしろ本数が少ない三江線、ここで降りると次の列車がいつになるかわからないので、今回は車内から一瞥するだけにとどめました。

 
17:39口羽駅着。ここで交換待ちのため16分停車。運転手さんはわざわざ私一人のために、車内放送で発車時間をアナウンスしてくれました。客は私しかいないので、当駅での降車は当然ゼロ。もうすっかり日が暮れちゃいました。


風の音、そしてエンジンのアイドリング音しか聞こえません。結局、乗ってくるお客さんもいませんでした。17:55に口羽を出発。

 
車窓が真っ暗になったためか、ついウトウトしてしまい、気づいたころには三次に着く寸前でした。乗客は私一人だけのままかと思っていたら、寝ているうちに途中の駅でおじさん一人を乗せていたようです。18:51、定刻通り三次に到着。2人の客を降ろすと、列車は折り返し浜原へと戻っていきました。

三江線は聞きしに勝る超閑散路線であることを実感する旅でした。並行する道路の整備が遅れていることや地元の反発などを理由に、いままで廃止が見送られてきたそうですが、無責任を承知で申し上げるならば、もういい加減にバス転換すべきではないかと思わずにはいられません。ただでさえ鉄道はランニングコストが高いのに、地元の人すら殆ど利用しない状態で営業を維持するならば、極めて不経済・不合理、リソースの無駄であり、それによって鉄道会社の屋台骨を揺るがしたり、地方自治体の負担が増えるようであってはならないはずです。一方で地元の足、とくに交通弱者を保護する必要があるわけで、となれば、既存の国道や県道を活用した路線バスに転換した方が極めて合理的です。またレールの上しか走れない列車と違って、バスなら病院や学校の前まで寄るなど柔軟な対応も可能なわけですし…。鉄道ファンとしては、路線の廃止は悲しむべきことではありますが、大局的に考えると、一部路線の廃止はやむを得ないと考えます。
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乗客一人 三江線の旅 その1・江津駅編

2010年11月20日 | 旅行記
前回記事で「はまかぜ」に乗車した時のことを書きましたが、その旅行の際、どうせ山陰に行くのならついでに三江線にも乗ってみるか、と思いつき、実際に江津から三次までの全線を乗りつぶしてきました。
今年4月にJR西日本は、赤字ローカル線の一部を廃止してバス転換する方針であることを明らかにしましたが、もしその計画が実行されるならば真っ先に対象になるのが三江線。どうしようもないくらい超閑散路線で、いままで廃止にならなかったのが不思議なほどの赤字路線なんだそうです。そんなにひどいのか…自分の目で確かめたくなりました。


まずは特急「スーパーまつかぜ」で出雲市から江津へ。

 
江津では私を含め10人強が下車。客は少なくてもキヨスクが営業中でした。地方の駅構内にある売店は縮小傾向にありますから、ここのキヨスクもいつまで営業を続けていられることやら。


駅の外観。いかにも昭和って感じ。地方の駅によくある平屋のつくりです。

 
駅前を歩いてみます。鉄道駅は街の中心から外れたところに立地することが多いため、駅付近の街並みがみすぼらしいのは当地に限った事ではありませんが、曇り空が悪いのか街全体がくすんで見えるのは気のせいでしょうか。車の往来こそあるものの人影が少なく、商店もシャッターを閉ざしたところが多くて、活気が感じられません。


駅からちょっと離れると再開発されたエリアに遭遇。でもそこに建つのは過疎と高齢化社会の象徴のような、大きい病院と老人ホーム。

  
この街にはどこに要があってどこにクライマックスが待っているのか、ぼやけてしまってさっぱりわかりません。高い煙突が聳える製紙工場が当地のシンボルなのでしょうか。街歩きをしてもいまいち面白さが感じられないので、不貞腐れて駅へ戻ろうとしたら、何やら廃線跡のような敷地を発見。日本製紙ケミカル(旧山陽国策パルプ)江津工場の専用線跡に違いない。暇つぶしにこの廃線跡を辿ってみることに。

 
線路は完全に剥がされていて線路敷が確認できるだけです。草むしていたり、工場敷地の境界を意味する松が植えられていたり…。

 
それでもよく探すと、勾配標がひとつ、そして踏切の遮断機台座に埋め込まれた線路がわずかに残っていました。


そして工場敷地内には入替用に使われていた小型機関車も保管されていました。なお敷地は関係者以外立入禁止ですから、敷地外から撮影しました。

さて、そろそろ三江線の時間なので駅へと戻ります

(以下、次回へ続く)
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