温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

惜別キハ181系 「はまかぜ」に乗車

2010年11月19日 | 旅行記
 

隠れ鉄道ファンの私。たしかに鉄道は好きですが、薄っぺらいファンであるため、いかなるジャンルに対してもあまり情熱的にはなれず、例えばしばしば話題になる「○○列車さよなら」的なイベントには、興味はあっても出かけることなどありませんでした。「へぇ、無くなっちゃうだぁ、別にどうでもいいや」ぐらいの認識しかありませんでした。寧ろ「葬式鉄」と呼ばれるような、廃止や引退時に限って出現するような一部マニアを敬遠すらしていたほどです。
しかしどういう訳かキハ181が引退すると聞くと、国鉄時代の花形気動車がついに過去帳入りするのか、国鉄の面影が本格的に消えてしまうのか、という一抹の寂寥感に駆られ、是非とも乗っておかねば後悔するという考えに取り憑かれたので、定期営業運転終了を控えた10月半ば、今日からほぼ一か月前の10月17日に「はまかぜ1号」に乗ってきました。



 
今回の旅行で使った乗車券類。小田急沿線住民の私は、横浜線の町田からJRに乗車。
町田(横浜線)新横浜(新幹線)新大阪・大阪(東海道・山陽)姫路(播但線)和田山(山陰本線)江津(三江線)三次・塩町(福塩線)福山(山陽本線)岡山(津山線)津山(姫新線)姫路(山陽本線)三ノ宮
というJR西日本エリアをぐるっと周遊するルートです。発券時に窓口でルートを提示した際、びゅうプラザのお姉さんはとっても面倒くさそうな顔していました。そりゃそうですよね。私が窓口の立場だったら同じ気持ちになるはずです。ごめんなさい。
実際の乗車ルートでは大阪→東海道・山陽線→播但線→山陰線ですが、乗車券記載のルートだとその部分が大阪→福知山線→山陰線となっています。これは、「はまかぜ」を利用して大阪から和田山以遠を途中下車しなければ播但線に乗っても福知山線経由の運賃計算でOK、という特例を活用したものです。


 

発車10分前に大阪駅4番ホームへあがると、9:36発の「はまかぜ1号」は既に入線していました。ホームにはカメラ小僧たちでいっぱい。正面のみならず、方向幕やこの形式の特徴でもある屋根上のラジエーターなど、いろんな部位を撮るべく、小僧たちはホームを右へ左へと忙しそうに駆けずり回っています。
4両編成のうち1両がグリーン車。今回は国鉄時代の面影をたっぷり残すグリーン車へ乗車します。乗車率は3~4割ほどで、しかもマニアより一般客のほうが明らかに多め。普段はガラガラだと聞いていたので、ちょっと意外でした。


 

東日本で暮らす私にとって、山陰や四国での活躍が多かったキハ181は縁遠い存在。益田~出雲市で特急「おき」に乗って以来20年ぶりでしょうか。車内は随所で改良の跡が見られますが、基本的には国鉄らしい雰囲気が残っていました。たとえばこの洗面台。国鉄の特急車両の流しは大抵どの形式もこんな感じでしたね。非常燈やクーラーの形状も懐かしい。




一方、デッキと客室部を分けるドアが一般的な引き戸ではなく押し戸であることにビックリ。14系や24系など国鉄の寝台車は押し戸が当たり前でしたが、キロ180も押し戸だったんですね。



 

グリーン車なのでシートピッチは広々しており、リクライニングも大きく倒れますが、シート自体が古臭く、ホールド感が無くて一般座席みたい。そしてテーブルが非常にしょぼい。肘掛脇に収納されており、上へスライドさせて組み立てると、弁当を載せるのがやっとなほど小さい台が出てきました。レトロ感たっぷりでかわいいから持ち帰りたいなぁ。でも昔はこんな席でグリーン車料金を徴収しても文句を言われなかったんですね。確かにリクライニングすらしない席なんて当たり前でしたから、この程度で十分な付加価値だったのかもしれませんが、今となっては時代錯誤の感が否めず、廃止されるのは時代の趨勢として自然なものかと思われます(廃止前提だったからこそ、今まで放置されてきたのでしょうけど)。


 

栄光の列車番号1Dは定刻通り出発。かっ飛ばしてくれるのかと思いきや、それほどスピードを上げることもなく、姫路まで走行。でも一応キュイーンというターボ音を聞けたので満足。姫路で播但線に入るためエンド交換。花より団子の私は、この間にホームの売店で「あなごめし」を購入。このホームにもカメラ片手にして一心不乱に駆けずり回るファン多数。ご苦労なこった…。

播但線に入ると、カーブの連続や交換待ちなどでひたすらノロノロ運転。もしかしたら線内での変直切り替えは「変速」のままで「直結」に切り替えることが無かったかも。姫路からいかにも鉄ちゃんらしい風貌をしたお兄ちゃんがたくさん乗り込んできて、大阪からの一般客が次々に下車してゆくに連れ、いつの間にか車内はマニアで占領されていました。また沿線にはカメラを構えた撮鉄の方々が思い思いの場所に陣取って、シャッターチャンスを待っていました。播但線沿線だけでも軽く100人を超える撮鉄さんがいたのではないでしょうか。見晴らしのよい田んぼのあぜ道や見通しのきくカーブ手前などで待機する人が多いわけですが、なかにはワンボックスカーの屋根の上に櫓を組んで撮影しているツワモノもいたりして、写真撮影のド素人である私はひたすら驚くばかり。日に数本しかない「はまかぜ」の登場を皆さんじっと待っているのですが、私には大物を狙って根気よく待ち続ける太公望たちの姿と重なって見えます。一箇所にじっとしていられない私には到底不可能な行為だ…。

和田山から山陰線に入り、豊岡や城崎温泉でポツポツと乗客が減っていきます。天気は快晴。車窓に見える紺碧の日本海が実に美しく、打ち寄せる波が日の光をキラキラ反射していました。終点浜坂のちょっと手前で餘部橋梁を通過。餘部駅ホームの端っこにも撮鉄多数。
車内に今時珍しいオルゴールの「アルプスの牧場」が流れ、車掌のアナウンスが終わると程なくして定刻13:16浜坂到着。

 

ホームにはこれまた今となっては珍しいフラップ式の案内表示機が現役。列車は慌ただしく折り返し、大阪行「はまかぜ4号」として出発していきました。

特にこれといった思い入れがない車両&列車だけに、今回の乗車で特別な感慨に浸ることはなかったのですが、JR東日本が早々に消し去ってしまった国鉄の面影が随所に残っていて、それを見て触れることによって懐かしい記憶が蘇ってきたことは大きな収穫でした。昭和の遺物が次々に消えてゆくことに、やはり寂しさをおぼえずにはいられません。


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