Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

加古川レガッタの季節がやって来た 2009年10月30日

2009-10-30 22:55:37 | 日記・エッセイ・コラム

リンパマッサージ

格安高速バス、夜行バスはオリオンツアー

少し動けば汗ばむぽかぽの秋晴れの日、昼食を済ませ午後1時半頃家を出発して加古川河川敷水面ロード33kmのLSDに向かった、河川敷には心地よい水面からの風が肌を撫でる、加古川大堰の水門橋の下を過ぎ8km地点の標識に近づくにつれて河川敷が次第に賑やかになっていった!☆はは~~~ん!恒例の関西学生秋季選手権“加古川レガッタ”が始まったかな、水面に視線を送るとレガッタの特設コース2000mのスタート地点に設置された船上から緊迫した『アテンション!!』のスピーカの声が響き!一斉に男子エイトが飛び出して行ったところだった・・・

この大会は1990年度琵琶湖瀬田からここ加古川大堰の2000mA級公認レガッタコースに移ってきて男子7種目/女子5種目を競う“関西学生秋季レガッタ選手権大会”として始まった、今年で第20回の記念大会を迎えている、パンをむさぼりながら女子種目のスタートを待っていたのかメガホンを自転車のかごに入れて応援係りに廻っている一人の女子大生に訊いてみると、今日金曜日が予選レースで、明日土曜日には敗者復活戦と準決勝が行なわれ、そして11月1日日曜日には全種目の決勝戦が行なわれるとのことだった、今大会は関西地区の17大学の他、遠くから茨城大学、愛媛大学、徳島大学、岡山大学、島根大学、鳥取大学、広島大学、山口大学を迎え25大学・学部、161クルーの参加らしい・・・

河川敷には疾走するママチャリにまたがりメガホンを口に当てて大声で母校のクルー達に声援を贈っている学生群で賑わっていた、上荘橋をくぐり1.5km先まで川上へ進むとその声援がピークに達した、な~~~んでか?橋の上からも学生達が鈴なりになっていたが、向こう岸には加古川市立漕艇センターがあり、その建物から河川敷まで広い階段が降りている(もちろん漕艇用の搬入路もあるよ)そこにはズラッとテント村が広がり大きなエールが湧き起こっていた、色とりどりのレガッタがこれまたズラッと並べられていた・・・

“国包(くにかね)の渡し跡”の標識を過ぎて直ぐの処にレガッタのゴールラインがある、そこにはフルマラソンコース10km地点の国包折り返しがあり、そこまでママチャリ軍団が続いていた、その“国包の渡し跡”から船頭さんがギィ~~コギィ~~コと漕ぐ渡し舟に揺られた小生の幼少の頃の思い出が蘇ってくる、それも菜の花が咲き誇った黄色の世界を眺めながら♪野崎参り~~の屋形船で~~ぇ参りよ~、何処を向いても菜の花盛り~♪の歌付きで蘇ってくる、代々庄屋を務めていた母屋から小耳に聞いた話だが小生の先祖一族は平家の落人で野村という集落に落ち着いたらしい、その集落には代々お寺がなく、村人のほとんどは川向こうの日光山・常樂寺の檀家であった、春のお彼岸になると家族連れで渡し舟に乗って川向こうのそのお寺まで墓参りに行っていた、今でも葬式が出来ると常樂寺の坊さんが来てくれる・・・

我が故郷・野村の集落には今でもお寺は無いが、我等子供達の絶好の遊び場であった神社がある、野球も出来るでっか~~い広場があり、キノコや木の実など自然の恵みでいっぱいの宮山(みやま)と呼ばれる裏山がある、近所の子供達と一緒にそこで弁当持ちや山滑りをよくしていた、“八幡(やはた)の厄神(やくじん)さん”の愛称で親しまれるこの“宗佐厄神八幡(はちまん)神社”は749年46代孝謙天皇(718~770年、史上6人目の最後の女帝、後に返り咲いて48代称徳天皇となる)の勅願所として創建された由緒ある神社である、2月18/19日には厄除祭が開催され、サーカスや見世物小屋が訪れ、境内周辺には縦横無尽に露天や植木市が並び多くの参詣者で賑わっていた、金持ちになれると思い五円硬貨が自由自在に出てくる“魔法の棒”を的屋のオッちゃんから買って、ウキウキして帰りそのカラクリにガッカリした思い出も今では懐かし~~い、出店には子供が欲しがるもので溢れていた・・・

小生の八幡(やはた)小学校時代よく学校の講堂で上級生が地域の有識者のオッちゃんから郷土の歴史の話を聴かされたものだ、その中に奈良後期“宇佐八幡宮神託事件”の話しに絡んだ当時の高級官僚・和気清麻呂(733~799年)とこの神社との逸話があった、当時皇位継承の権力闘争がドロドロであった奈良後期、朝廷お抱えの弓削道鏡と云う高僧が企み『道鏡を皇位に就かせれば天下太平になる☆』と宇佐の八幡宮(725年創建、現在の大分県宇佐市)のスゲノアソマロという託宣師からお告げがあったと偽り皇位に就こうとした・・・

孝謙天皇はそれを聴き怒り、清麻呂を宇佐に遣わし確かめようとした、清麻呂一行が姫路に向かって西国裏街道沿いを丁度我が故郷に差し掛かったとき、道鏡からの刺客に襲われた、その時宮山から現れた大猪がその刺客をやっつけ、清麻呂は無事宇佐に到着出来、道鏡の託宣が偽りだったことが判明した、その事件の後厄除けの神社として宗佐八幡神社が建立された謂れが伝えられている・・・

レガッタの話しに戻ろう、速いチームを観ていると全クルーの動きが統一されスムースで力強い、遅いチームは動きに疲れが観えどこかアップアップしていた、大堰手前のレガッタ・スタート地点まで戻るとダブルスカルのスタートが行なわれていた、4時半頃まで予選レースが続くらしい、左岸河川敷から右岸に渡るため大堰水門橋に上がるとそこにもカメラや双眼鏡を覗くギャラリーがちらほらいた、水門橋から水面に引かれた、確か3レーンだったが、コースラインが上から目戦でハッキリ観て取れスタートの模様も目の前にあった、選手諸君!明後日の決勝に向かってファイトいっぱ~~~つ!!

レガッタに別れを告げ水門橋を渡りきり14km地点を過ぎて右岸の河川敷へ降りて行った、そして24km地点の高砂折り返し地点に向かって歩を進めて行った、ここ3日間庭木の太枝をバッさバッさと剪定に明け暮れたので身体が重い~~・・・

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