先日のグールドとの衝撃的な出会いのあと、さっそくアマゾンにCDを注文していたものが届きました。私がここまでハマるのは珍しい。恐るべしグールド。
(先日の感激爆発記事はこちら↓
Glenn Gould "J.S.Bach Goldberg-Variationen" )
さて、両者はいずれもグールドによるバッハの "ゴルトベルク変奏曲"です。グールドのデビュー作と遺作が同じ曲であるというのは、不思議なことですね。この最初と最後の演奏を聴き比べてみると、素人の私にも分かることと言えば、同じ曲であるのは確かながら、これらはまるで違うように聴こえるということでしょうか。
まずスピードが違います。55年盤は本当に速い! 超絶速度です。両者の再生時間を単純に比べても10分以上の差が出ています。そして55年盤は(若いころの演奏だということを私が知っているせいかもしれませんが)沸き立つような高揚感を与えられるところがありました。盛り上がりますね。これからの季節には良い感じかもしれません。何となく。
それに対し、81年盤(こちらが私が初めて聴いたグールドの演奏)は、もっと落ち着いた演奏です。慎重に慎重に演奏されている感じがします。55年盤に比べてゆったりとしているのですが、やはり盛り上がります。個人的には、これは秋に聴くと何かとんでもないことになりそうな予感。秋は私の精神が最高潮に敏感・活発となる季節です。今度の秋が楽しみです。
あらためて81年盤を聴き直してみると、私がこのあいだあんなにも泣いてしまった理由がちょっと明らかになってきました。《第25変奏》の途中から《第30変奏》までは猛烈に盛り上がっていくわけですが、そのあとの《アリア》への落差は、とても耐えられないほどに急激なものです。私はそういうのに弱い。それにこのあたりは、「もうそろそろこれで終わりです」という感じが非常にします(これも最晩年の演奏であることを私が知っているせいかもしれませんが)。もはや最初の《アリア》とは別物のようです。うう。
そして2枚を比べて聴いてみて何よりも感動的だったのは、こんな風に同じ対象に向かってひたすらに取り組んだ人が存在したという事実でしょうか。何かに情熱を燃やしてそのために生きた人の姿は、私にはとても美しく映ります。他の分野でも、私はどうしてもそういう人物に憧れてしまうのでした。彼らは自分の興味や欲求に従って生きたつもりだったかもしれなくても、結局は人類のために生きたことになっている。素晴らしい人生に栄光あれ。
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ところで、CDに付いていた解説文も結構熱くて面白かったです。やっぱりカリスマだったんですね、グールドは。
いえいえ、私にお構いなくどんどんコメントしてくださいませ。私は「なるほど、なるほど」と相槌を打つだけで、お得情報が次々と入ってくるので、しめしめという感じですよ。うふふ。
とりあえず、ジャズもなんだか面白そうですね。
「ジャズピアニストでも弾けます」ですか?そんなこと書かれてるなんて、怒りを感じたり悲しくなるより笑っちゃうなあ。
じゃあコンサートピアニストでキースのソロ・コンサートと同じような即興演奏ができる人が一人だっているでしょうか。ケルン・コンサートの評に「クラシックのピアニストには弾けません」と書くべきでしょうかねえ。
キース・ジャレットは他にもクラシックをいくつか取り上げていて、モーツァルトの協奏曲は非常に美しい演奏の名盤で、他の巨匠達の演奏に全く引けを取らないし、ヘンデルのクラヴィーア組曲をピアノで弾いたアルバムなんてぞくぞくするくらい素晴らしいです。どれもすごくストレートな演奏なのに新鮮なんですよ。そこがクラシック畑のピアニストと感覚の違う点なのでしょうね。
ntmymさん
なんだかここのコメント欄、yuzuさんと私のバッハ談義になっちゃって申し訳ないです。
>バッハ先生を描いたときに思ったのですが、
普通のおやっさん風なところも魅力です
これで、つい笑ってしまいました。でも、分かります。そういう魅力もありますよねー。私もあるフランスの作家を好きになったのですが、その肖像があまりにおやっさん風だったので、ショックを受けると同時に愛着も増しました。不思議なことに。
実はキース・ジャレッドさんのゴールドバーグがある
と聞いたときジャズミュージシャンが弾いている、
凄いぞ、と嬉しくなったのですがどこかのウェブで「ジャズピアニストでも弾けます」程度の演奏、
と書かれていたのを読んで悲しくなった覚えがあります。
だからpiaaさんがお好きだといわれたときは、自分では聴いても無いのになぜか嬉しい思いがしました。
今度買います。
piaaさんのマルティンさんのアリアオクターブを
聞いて更に興味が沸いてきました^^。
こういうの好きなんだろうか……。
piaaさんの考えも当然然りです^^。
それは船の錨的なものかもしれません。
芸術という船体が創造性を追うがあまりにドンドンあらぬ方向へ流されていかないようにそこにある、という感じの。
>キワモノOKなのもバッハという音楽のすごい所ですよね。
いやぁ、ほんとバッハ先生、凄すぎです。
こういうことをちゃんと先読みしていたような気すらしてしまう。
「(できるものなら)好きにチャレンジしてくれたまえ」と
ほくそえんでいるかも(笑)
いろんな楽器で奏でられていてそれも面白いです。
バッハ先生を描いたときに思ったのですが、
普通のおやっさん風なところも魅力です(すごい失礼)
ntmymさん、
這いレベルです、私(汗
まだまだ幅狭くしか知らなくて……。
>「自分が作品に参加している感」が強いですね。それがなんだか私にはとても面白いです。
いいですねー、これ。やっぱりいいですね、音楽。
子供の頃や若い頃は大嫌いでしたが、やっておけばよかったです。
これからこういう感覚で聴くことができそうでなんだか嬉しくなってしまってます。
超ハイレベルなコメントをありがとうございます!
私は正直、全然ついていけていませんが、それでも、どうやらバッハはかなり深いらしいことは分かりました。多くの演奏家を魅了する偉大な音楽家だったんですねー。
音楽の面白いところは、ひとつの楽譜をめぐって様々な解釈がなされうるという、その多様性でもあるのですかねー。しかもその解釈のあり方が演奏という形をとっているので、たとえば文学や絵画における解釈に比べて、「自分が作品に参加している感」が強いですね。それがなんだか私にはとても面白いです。
ですがもしバッハがピアノを持っていたら「平均率」や「ゴルトベルグ」は今聴けるものとは全く違った作品になっていたに違いないと私は思います。だからと言ってピアノでの演奏を否定するつもりはないのです。キースも「平均率第1巻」はピアノで弾いていて、こちらも素晴らしい演奏です。ただ作曲したときにバッハの心の中で鳴った音はやはりチェンバロだった事は明白です。
マルティン・シュタットフェルト(と表記されています)の演奏はアリアをオクターヴ上げて弾いているとかでかなりのキワモノかと。聴いてみたいです。
それにしても「スイッチト・オン・バッハ」の昔からバッハは様々なキワモノ的演奏に堪えてきたわけで、キワモノOKなのもバッハという音楽のすごい所ですよね。
お手本にしたりこれでバッハを勉強しなさいというわけではなくほぼグールドだけのものだと思います^^。
ntmymさん、piaaさん、こんにちは。
彼の演奏は既にちゃんと勉強して理解しつくした人が
自分のやりたいようにやった結果のもののような気がします。
グールドのバッハでピアノを使うことについての考えは
バッハ自身ピアノのような性能を持つ楽器を追求していた。
だからピアノでやる、というものだったような……
うーん、うろ覚えです、スイマセン。
グールドの前はマレー・ぺライアという人のゴルトベルクを
2年以上愛聴してまして、この人はピアノ演奏でのアカデミックな取り組みをしているようです。
とても素敵です^^。
新人では独のマーティン・ストラットフェルド(合ってるかなぁ)のGVを聴いてみたいですねぇ。
結構スイングしているとか。グールドと比べられているようです。
キースさんのはまだ聴いてないので聴いてみようっと。
チェンバロの音色も大好きです。
最後になってしまいましたが、リンク完了しました。
不都合があれがお知らせください^^。
これからもヨロシクお願いします^^。
毎度のことながら貴重なコメントありがとうございます! ためになりますね~、別にいじわるな感じはしませんですよ。色んな意見があるのが当然ですし。もっとどんどんおっしゃってくださいまし☆
ところで、チェンバロでの演奏もぜひとも聴いてみたいですね。たぶん全然印象が違って聴こえるんだろうなー。実は、私は最初はグールドの演奏する姿(指の動きとか体の揺れとかハミングとか)に圧倒されて、肝心の曲のほうはあまりよく聴き取れていなかったのですが、何度も聴くうちに「あれ、バッハのこの曲自体もかなり良いのでは…」と思い至りました。遅い!
というわけで、「バッハらしい演奏」とは何かということを念頭に置きつつ、これからは他の人の演奏も聴いてみたいと思います。
ntmymさんのおかげでこれまで毛嫌いしてきたグールドに対する認識が少しは改まりました。
…でもこれをスタンダードなバッハだとは決して思わないで下さいね!と言いたかったのです。
「モノクロの映画に色をつけたみたい」な演奏だなあ、と。
もともとチェンバロという楽器は強弱がつけにくいので、チェンバロを想定して作曲したバッハは楽譜に強弱を指示していません。少なくとも手元にある『平均率』の楽譜はそうです。その後ハンマークラヴィーアが開発され、鍵盤楽器で強弱(フォルテピアノ)が表現できるようになったのです。
グールドのやっている演奏はそのピアノという楽器の機能を最大限に生かしたもので、バッハにきわめてロマンティックな解釈を施したものといえます。これはこれでとても面白いのですが、バッハらしい演奏とはとても言えないと思います。
私の持っているジャズピアニストのキース・ジャレットがチェンバロを弾いた「ゴルトベルグ」のCDは非常にすっきりとしたバッハです。チェンバロは強弱をつけにくいので、アクセントはフレージングでつけるしかありません。いきおい演奏はきわめてデリケートなものになります。グールドとは全く逆のアプローチと言えます。やはり私としてはこちらの方が好きですね。
ただグールドの演奏に耳馴染むとこの演奏は起伏の少ない退屈なものに聴こえるかも。でもこっちの方がバッハの本質に近いと思います。
ところで10年ほど前に、小林道夫氏がチェンバロでこの曲を弾いた演奏会に行ったことがありますが、100人くらいしか入らない小さなホールで、音の小さなチェンバロを耳をそばだてて聴くんです。あれは素晴らしい経験でした。ntmymさんもぜひライヴに出かけてください。
…それにしても、もともとクラシック畑のグールドがこういういわば破天荒な演奏をして、普段ジャズを弾く時は体をくねらせ、うなりながら演奏するキースが端正な演奏をするというのが面白いですね。
今後ともよろしくおねがいします♪
その上相互までしていただけるとは嬉しいことです。
どうもありがとうございます^^。
ntmymさんの描かれるマンガですが、正に私のツボでございます◎
彼らが遺したものは彼らの大事な赤ん坊。
ntmymさんのおっしゃるとおり大事に大事に愛しみたいですネ。
リンク次第ご連絡差し上げます^^。
ついに手に入れましたよ♪ やったー!
ところで、最後のアリアをなかなか聴く気が沸いて来ないというお気持ちは、私にもなんとなく分かってきました。たしかに、なんだか落ち込みますね~。
>でもそのために犠牲にしたことも沢山過ぎるほどあった
そうかもしれませんね。
しかし、私の崇拝する偉大な人々が、もし多くを犠牲にした末に得たものを我々に遺してくれたのだとしたら、私はなおさらそのものを讃えようと思います。彼らが失ったものの代りには到底ならないでしょうけど。
全てを手に入れられる方向へは、人生は運んでゆかないようなのが切ないですよね。
それにしても、
>マンガも読ませていただいてます。
あわわ、スミマセン; 絵のお上手なyuzuさんのお眼を汚してしまわなかったか心配です。
こんなブログでよければ、もちろんリンクしてくださいませ! 私のほうもyuzuさんのブログへのリンクを貼らさせていただきたいと思います☆
CDゲットおめでとうございます^^。
81年ものの最後のアリアは私は聴けません(汗)
これまでかなり聴いてますがトータルで一度だけ(笑)
一回聴いてもういいです、と思いました(^_^;)
どーんと落ち込んじゃいますから。
『彼らは自分の興味や欲求に従って生きたつもりだったかもしれなくても、結局は人類のために生きたことになっている。』
ここのところ私もいつも思います。
グールドやその他優れた人達というのは結局は自分の
やりたいことを周囲に関係なくとことんやっただけなのでしょう。
でもその結果生まれたものが人類の宝になったわけですね。
でもそのために犠牲にしたことも沢山過ぎるほどあったようです。
グールドもまさにそうでした。
マンガも読ませていただいてます。
もしよければ私のブログへリンクさせていただいてもよろしいでしょうか?
こちらこそ、そうおっしゃっていただけるとは感謝感激です!
私はせっかく多くの素晴らしいものに触れても、「好きだ」とか「感動した」というようにしか表現できないのですが、それでもその気持ちが読んでくださる方に伝わっているというのは嬉しいものですね~。
私としては、今後ともどしどしと人類の宝に触れて感激記事を書きまくるつもりなので、今後とも御期待くださいませ~☆
こちらのサイトに伺うようになって、いろんな忘れていた事を思い出しました。
グルードは20代に聞きまくっていたのに、ここ数年持っていることも忘れてました。
早速、出してきてずっと繰り返し聞いて 感動してます。
漫画のジョジョシリーズもそうでしたが、再度作品達に出会い、新たな感動を味わっています。
本当にntmymさんには感謝してます。
今後も記事を楽しみにしてます。