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「ザリッシャ村、ザピッリャ村……」。チェルノブイリ市の中心にある広場には、原発事故で消えた村の名前が書かれた立て札が並ぶ。事故から25年となった2011年に作られた=日吉健吾撮影 |
1986年4月に大事故を起こしたウクライナ・チェルノブイリ原発の南東十数キロ。放射線モニタリングなどにあたる3千人ほどが働いている町、チェルノブイリ市を訪ねた。
ウクライナ政府によると、事故の影響で168の村が消えた。市の中央広場には、その名が記された立て札がアルファベット順に並ぶ。事故から25年の今春完成した。
市内には、放射線測定や生態系調査などを担う行政機関の拠点がある。市は、「ゾーン」と呼ばれる立ち入り規制区域の中にあるが、集中的に除染され、職員 らは例外的に滞在が認められて月の約半分を市内の寮で暮らす。朝夕には、通勤バスが広場周辺を行き交い、少しだけにぎわう。商店や教会もある。
市の中心を離れると、ゾーンの現実がわかる。市内の目抜き通りの両脇には木造の廃屋が並び、プリピャチ川沿いにはさびた廃船が係留されたままだ。
市内を出て原発に向かう。原発の約2キロ手前の「コパチ村」跡。荒野に三つ葉の形の放射能標識と看板が立つ。「住民1114人が1986年5月3日に避難した」とある。
家々は降り注いだ放射性物質で汚染され、壊されて埋められた。そばの道路で地上1メートルの空間線量を簡易装置で測ると、毎時0.7マイクロシーベルトほどだった。