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森羅万象 ~ 歩く印象派

新燃岳と桜島「噴火の懸念」 火山噴火予知連絡会

2011年10月11日 22時45分36秒 | 山関係のニュース(報道されたもの)

朝日COM2011年10月11日20時53分

 気象庁の火山噴火予知連絡会は11日、全国の火山活動について、九州の新燃岳と桜島で、今後、噴火活動が活発化する懸念があるとする現状報告をまとめた。新燃岳と桜島は現在、入山規制が行われる噴火警戒レベル3になっている。

 新燃岳は、1月下旬から本格的な噴火が始まり、その後も噴火を繰り返している。同庁は全地球測位システム(GPS)を使って周辺の観測を継続。新燃岳の 北西数キロメートルの地下にあるマグマだまりが、1月から2月1日にかけての噴火後に急激に縮んだものの、その後膨張を続けていることが分かっている。

 同会によると、地下のマグマだまりには、噴火で放出された量の半分以上のマグマが、新たに供給されていると見られる。そのため、今後爆発的な噴火の可能性があり、噴石や降灰などへの警戒が必要だという。

 一方、桜島の昭和火口では、爆発的なものも含めた噴火の回数が6月の45回から9月には204回へと増加。今後マグマの供給量が増え、さらに噴火活動が活発になる可能性もあり、噴石や火砕流に警戒が必要という。


事故から14年後、チェルノブイリ汚染地帯を歩いた

2011年10月11日 20時23分36秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)

2011年10月04日

松本 仁一     ジャーナリスト、元朝日新聞編集委員    

 2000年8月、チェルノブイリ原発に近いベラルーシの高濃度汚染地帯を歩いたことがある。ウクライナ国境まで10キロ、原発まで30キロのベリベラグ という廃村だ。原発事故から14年がたっていたが、それでも村の地表からは毎時45マイクロキュリーの高い放射線が検出されていた。
 案内してくれたのは菅谷昭医師だった。現在の松本市長だ。チェルノブイリはウクライナ共和国にあるが、国境を接して風下にあったベラルーシでは当時、被 ばくによる子どもの甲状腺がんが多発していた。菅谷医師は信州大学医学部助教授のポストを捨てて96年にベラルーシに移り住み、甲状腺がん患者の治療に当 たっていた。
 ゴメリ市とチェルノブイリを結ぶ幹線道路は、原発から40キロの地点で封鎖されていた。道路封鎖線のわきにトレーラー住宅があり、 そこから数人の警官が出てきて通行禁止を告げた。ベリベラグの村はその先にある。菅谷医師がベラルーシ国立がんセンターの身分証明書を見せ「自分は医師で あり、被ばくの実態を視察している」と説明して封鎖線を通してもらった。

 ベリベラグ村に入った。原発事故から14回の厳しい冬を越して、無人の村は荒れ果てていた。どの家も、草が屋根のひさしの高さまで生い茂っている。屋根 瓦は落ち、ガラスは割れている。野犬すらいない。道路わきにリンゴ畑があり、収穫する者のいないリンゴが実っていた。リンゴをもぎ、服のすそでよく拭いて 食べた。「リンゴはまだましですが、キノコを食べて被ばくした者が多くいます」と菅谷医師がいった。
 帰り途、原発から70キロ地点のナローブリヤという町に立ち寄った。避難指定地域ではないが、1万5000人だった人口が7000人まで減ったという。 川岸に「1986」と大きく刻まれた原発事故記念碑が建っていた。碑には「ここから東の地域で下記の35の村が消滅した」とあり、村の名前がずらりと書か れている。その中に、さきほどリンゴを食べたベリベラグの名前もあった。
 ベラルーシでは、原発事故への対応が遅れた。風下にあったにもかかわらず、ソ連政府(当時)の避難指示が遅れ、食品の規制もないまま時間が過ぎた。人々 はキノコを食べ、野菜を食べた。そのため多くの住民が内部被ばくしてしまった。同じ風下でもポーランド政府の動きは素早く、学童に常備のヨウ素を飲ませる などの緊急措置を取ったため、被ばくを最小限に抑えることができたという。その差は大きかった。
 甲状腺はヨウ素を取り込みやすい。成人の場合は、すでに食品など天然のヨウ素を摂取して飽和状態のため、放射性のヨウ素を取り込む余地は少ないが、小児の場合は甲状腺が「空き屋」状態で、放射性ヨウ素が一気に入り込んでしまうのだ。

 ベラルーシ国立がんセンターでは、原発事故までの10年間に小児甲状腺がん(0~15歳)の治療ケースは7件しかなかった。それが、事件後の10年では 424件にはね上がっている。ふつう、小児甲状腺がんの発生頻度は人口100万人あたり年間で1件ていどだ。ベラルーシでは、原発事故から5年たった 1991年から急激に増え、96年には人口100万人あたりで38件に達した。
 菅谷医師はベラルーシのゴメリ市で治療活動を続けていた。ゴメリはチェルノブイリから100キロも離れている。それでも2000年には、100万人あた り36件の小児甲状腺がんが見つかった。1歳とか2歳とかで被ばくした幼児が、13、14歳で発症するケースが多いのだという。
 菅谷医師は6年の滞在中に542例の甲状腺がん手術に参加した。うち小児・少年は132例に及ぶ。「日本で小児甲状腺がんの手術をしたのは、年に1、2例でした。ベラルーシの6年で、日本の100年分ぐらいを経験してしまいました」といった。

 その日本が、いま危ない状態にある。福島第一原発の事故への対応が、すべて後手後手に回ったためだ。
   政府の避難指示は遅れた。風下で学童にヨウ素を飲ませることもほとんど行われなかった。漏れ出た放射能の数値はなぜか公表されなかった。高度の汚染を把 握していながら、避難指示を出さなかったケースさえある。政府は原発の危険性をどう考えているのだろう、と菅谷医師はいぶかる。
 「私が治療に当たったゴメリ市は、チェルノブイリから100キロも離れていました。それでも5年後には目に見えて甲状腺がんが増えたのです。わが国の政府は、今後のそうした状況にどう対応するつもりでしょうか」

 5年後の2016年、東京や横浜など予想もしなかった地域で小児甲状腺がんが多発する事態が起きるかもしれない。そのときのための対応策を、政府はすで に用意しているのだろうか。避難者の帰還を始めるといっているが、まだ放射線が出続けている地域に子どもを住ませて大丈夫なのだろうか。霞が関方面からは 何も聞こえてこない。


淡泊過ぎる脱原発集会の記事

2011年10月11日 20時15分53秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)

2011年09月27日

栗田 亘 コラムニスト、元朝日新聞「天声人語」執筆者

 

 〈首相、原発容認に回帰〉と9月26日の朝日新聞朝刊4面は報じている。
 野田首相は9月2日の就任記者会見で「将来的に寿命が来たら廃炉、新規は無理というのが一つの基本的な流れ」「すぐに原発依存を完全にゼロにするのは無理だから、時系列的に整合性のとれた話になるようにしたい」などと語った。菅前首相の路線のいわば踏襲宣言だった。
 しかし、わずか2週間ほどで揺れ始める。衆院代表質問で、原発の新増設方針について「客観的な状況に対する認識として『現状では困難』と申し上げた」と 修正。また米紙のインタビューに、原発再稼働の時期を「来年の春以降、夏に向けてきちっとやっていかないといけない」と述べる。
 さらに訪米中、「原発の安全性を世界最高水準に高める」と強調し、「日本は原子力利用を模索する国々の関心に今後ともしっかり応えていく」と原発輸出の継続を表明した。

  以上が記事の骨子だが、こうした姿勢を同じ26日朝刊の3面連載記事では「自民党政権が進めた原発をそのまま受け継ぎ、海外輸出するに至った民主党政権 が、原発の是非を熟慮した形跡はない」と書き、「早くも現状追認の政治が頭をもたげている」と指摘。そうした姿は「原発による利便を無意識のうちに享受し てきた日本社会と重なる」とくくっている。
 まことにその通り。そして、政治が「現状追認」なら、「日本社会」もまた「現状追認」の路線に回帰しつつある、と私は認識している。
 いや、「日本社会」と言っては、いささか正確さを欠く。ここは「日本のマスメディア」と言い換えるべきかもしれない。そう、私は考える。 

 9月20日の朝刊(東京発行最終版)を開く。
 日本経済新聞は第2社会面に〈脱原発集会6万人が参加〉との1段見出しで、以下の記事を載せた。
 〈東京電力福島第1原子力発電所の事故を受けて、脱原発を目指して作家の大江健三郎さんらが呼び掛けた「さようなら原発5万人集会」が19日、東京・明 治公園で開かれ、約6万人(主催者発表)が参加した。事故後の集会では最大規模。廃炉に向けて活動している福島県の市民団体メンバーや大江さんらが「原発 はいらない」と訴えた。
 集会後、参加者は3コースに分かれて都内をデモ行進した。警視庁は、デモの参加者を約3万人としている〉
 全部で19行。写真はない。あってしかるべきだと私は思うが、経済紙としては、まあ過不足ない扱いだろう。集会の要素のほとんどはこの中に盛られている。

 読売新聞は2社面で、〈「脱原発」で大規模集会 新宿〉と2段見出し。記事は20行、写真はない。その一部。
 〈全国から、脱原発や反核を掲げる民間活動団体(NGO)や労働組合などの市民3万人以上が集まった。福島県三春町から参加した「ハイロアクション福島 原発」の武藤類子さん(57)が壇上に立ち、「毎日『逃げる、逃げない』、『食べる、食べない』など苦渋の選択を強いられている。どうか福島を忘れないで ほしい」と訴えた。
 参加者は集会後、自作のポスターやのぼりを手に、原宿などをデモ行進した〉
 福島県の女性の声を紹介したくだり、ポスターやのぼりが「自作」だと記したくだりに、私は報じた記者の「目」を感じる。
 しかし、写真が添えられていないのは残念だ。日経によると「事故後の集会では最大規模」である。写真を見たい読者がいるに違いない。 

 朝日新聞は1面中ほどに3段半の縦写真を載せた。プラカードを掲げた人たちのアップ気味の構図である。写真の下に〈「脱原発の意志知らせる」〉の見出し。「さようなら原発集会」うんぬんは、見出しでは分からない。
 記事は横書きで14行。縦書きなら23行程度だろうか。淡々とした内容で、〈大江さんは「私らは原発に抵抗する意志を持っているということを政党の幹部に知らせる必要がある」とよびかけた〉などとある。
 1面に記事がある場合、続きが関係紙面に掲載されることが多い。けれども社会面などに、そうした記事はなかった。

 ほかの新聞も見てみよう。
 産経新聞は2社面にベタ記事。
 毎日新聞は1面にヘリから空撮した大集会の写真。〈脱原発訴え大規模集会 新宿・明治公園〉と1段見出しで、記事33行。大江氏のほかに、壇に上ったも う一人の言葉が紹介されている。〈俳優の山本太郎さん(36)は「今の日本の政治は一人の命や安全を無視している」と訴え、参加者とともに「原発反対、子 どもを守れ」とシュプレヒコールを上げた〉
 関連記事が2社面にあって、朝日新聞と同じような「デモ行進する市民ら」の写真。3段見出しは〈原発集会 避難者も叫び〉。脇見出しに〈日本全体で考えて/まだ隠しているのでは/「安全」うそだった〉と、記事の中の参加者の声が拾われている。
 社会面の前文は〈故郷の福島を離れて避難している人や、事故をきっかけに初めて問題意識を持った人も目立った〉。本文は89行。

 東京新聞は1面に〈「さようなら原発5万人集会」で会場に入りきれないほど集まった大勢の参加者〉という説明が添えられた空撮写真。記事は〈脱原発6万 人集会〉との見出しで、前文の結びは〈大江さんらが「私らには民主主義の集会や市民のデモしかない。しっかりやりましょう」と呼び掛けると、会場からは地 鳴りのような拍手が湧き起こった〉。本文は36行。
 その一部。〈作家の落合恵子さんは参加者に「あなたたちに会えたきっかけを考えると腹立たしくてならない」と語り掛けた。その上で「放射性廃棄物の処理能力もない人間が、原発を持つべきではない」と原発不要論を唱えた。
 ゲスト参加した俳優の山本太郎さんがあいさつで「すごい…すごいですね」と切り出すなど、会場に入りきれないほどの人が集まった〉
 さらに1社面トップで、参加者の声などを集めた、社会面の半分以上を占める大型の関連記事を載せた。見出しは〈声合わせ6万人集会〉〈福島と連帯「原発いらない」〉〈会場あふれる人も〉。参加者のアップ写真もあった。

  長々と6紙の紙面を紹介したが、こんなふうに扱いが極端に分かれた集会だった。
 私自身は、日本は、というより世界は、減原発→脱原発の道をできる限り早くとるべきだと考えている。
 そして、世論調査などで見る限り、これは決して少数派の意見ではなさそうだ。

 「さようなら集会」の実行委員会事務局は、総評会館の原水爆禁止日本国民会議気付である。当然、労組員の動員もあっただろう。  私の友人(60歳代半ば)も夫人とともに参加した。彼によれば、しかし、市民の個人、あるいは仲間との参加という色合いが濃かった印象だという。以下、 個人的体験、印象に偏るけれど、参加者の平均年齢はアラカン、つまり還暦前後か。20代~30代の若い層もいたが、そうした若い市民グループには警察が私 服でぴったりマークしていて、自分の若い頃の安保反対デモを思い出したそうだ。
 彼は会場の明治公園にJRで出かけた。下車駅の千駄ヶ谷に近づくと電車は徐行、一時停止した。「ホームに人が溢れて危険なため、しばらくお待ちください」と車内アナウンスがあった。
 駅から明治公園までは歩いて5分くらいか。でも、この日は人波で進めず15~20分もかかった。デモ行進(最近はパレードともいうらしい)で渋谷の代々 木公園をめざす。彼も一緒に歩き、途中で出発地の明治公園まで引き返してみた。先頭はとっくに代々木公園に着いているはずなのに、明治公園ではまだ出発で きない人たちが大勢いた。
 ともあれ、近年では見たことも聞いたこともない大規模な集会だった、と彼は結んだ。

 彼の話を聞き、ネットで集会の詳細な動画を見、関係する記録を集めてみた。
 沖縄では基地反対の大規模集会が繰り返し開かれ、私も何回か取材した。しかし、本土では、彼の言うようにこれほどの規模の集会は聞いたことがない。

 それにしては、と再び20日の紙面を繰りながら思う。多くのマスメディアの扱いは淡泊に過ぎるのではないか。私自身は、少なくとも毎日新聞くらいの取り上げ方をするべきだったと考える。

 東京新聞の、とくに1面の記事は〈大江さんらは東京電力第一原発事故を受け、来年三月までに脱原発を求める一千万人分の署名を政府と国会に提出する計画。主催者によると、署名は現在百万人に達しているという〉と今後の行動予定にも触れて、情報として親切だった。

 


年1ミリシーベルト超す汚染、8都県で国土の3%

2011年10月11日 05時31分14秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)

朝日COM2011年10月11日15時0分

 東京電力福島第一原発の事故で放出された放射性物質による被曝(ひばく)線量が年1ミリシーベルト以上の地域は、8都県で約1万3千平方キロ(日本の面 積の約3%)に及ぶことが朝日新聞社の集計で分かった。環境省は10日に国の責任による除染地域を年1ミリシーベルト以上とする基本方針案を決めた。同省 は当初、年5ミリシーベルト以上を基準とし、範囲を福島県内約1800平方キロとしてきたが、7倍に膨らむ計算だ。

 航空機による文部科学省の放射線量の測定結果を基に、環境省が事故による追加の被曝量が年1~5ミリ(毎時0.19~0.95マイクロシーベルト)の地域の分布図を作製。福島県は8月28日、他の地域は9月18日現在の線量別の面積を朝日新聞社で計算した。

 その結果、福島県は5ミリ以上の約1800平方キロに加え、1~5ミリの地域が約6200平方キロ。同県の面積(1万3782平方キロ)の6割にあたる約8千平方キロが除染の対象となる。

 残る7都県に5ミリ以上の地域はなかったが、1~5ミリは群馬県で約2100平方キロ、栃木で約1700平方キロ、宮城、茨城が各約440平方キロ、千葉が180平方キロと続き、東京と埼玉は20平方キロ前後だった。山形と神奈川は1ミリ以上の地域は分布図になかった。