スタジオ・ジブリ ここんとこおかしいな?と思っていましたが、
「映画生活」という映画紹介サイトであらなさんという方のジブリアニ
メの批評を読んで「なるほど!」と思いましたので紹介したいと思います。
以下です。
「最近のジブリ映画を観て思うことなんだけど・・
ジブリ屋という花屋があった。そこのオヤジさんはすてきな人で、花屋にはいつも、赤や黄色や青やとにかくいろんな色の、いろんな形の花がたくさんあった。こども達はオヤジさんがお花で作るちょっと変わった動物が大好きで、そこの花は見ているだけで楽しくて、とってもすてきな気持ちになれたので、大人達もその花屋に行くのが大好きだった。
何年かすると店に「もののけ」という盆栽がおかれた。みんなは「オヤジさん盆栽も始めたんだ。」と思ったけれど、お店にはまだ大好きな花がたくさんあったから気にする人は少なかった。
しばらくすると「千尋」というも盆栽もおかれた。「もののけ」も「千尋」も、誰が見ても見事な盆栽でそれは立派だったけど、みんなはその廻にあるお花が相変わらず大好きだった。
ある時お店に行くと、店の真ん中に「ハウル」という盆栽がおかれ、その横にオヤジさんが立っていた。オヤジさんは「どうだこの盆栽はすごいだろう。」と「ハウル」のどこが素敵なのか、作るのはそれは大変だったこと、でも見事に立派にできてとっても満足していることをお店に入ってくる人みんなに話していた。「ハウル」は立派な盆栽でそれはわかるんだけど、こども達は本当はオヤジさんが作る変わった花の動物が見たくて、大人達はいろんな色のお花が見たくて、でもオヤジさんは盆山の話をやめようとしないからみんなはちょっと寂しくなってきた。
オヤジさんの息子が自分の作った花をお店に出した。みんな若い息子の花は以前のジブリ屋のような色とりどりの素敵な花だと思ってお店に出かけた。でもそこにあったのはやっぱり「ゲド」という盆栽で、息子も横に立って説明をしている。立派なところ、それとオヤジさんの盆栽とどこがどう違うのかを。
気がつくとジブリ屋の店先には盆栽だけが並んでいて、店の奥にはきれいな花が見えるんだけど、どんどん、どんどん入りづらくなってしまって、みんなとっても寂しくなった。
最近のジブリ映画を観ると、晩年の黒沢作品にイメージがダブる。
「どうだ、すごいだろう。」と。
「巨匠」の作品が見たい訳じゃないのに・・」(「救いが欲しかった。(あらな)」)より。
いかがでした?
花屋さんにある日置かれた「盆栽」というのが言い得て妙ですね。
「盆栽』に凝り出したのはいいが蘊蓄(うんちく)を語り出すオヤジに違和感をいだき辟易していくかつての客達。そのことに気づかないオヤジ、そして、よせばいいのにはじめから盆栽作りに手を染めてしまった息子。ジブリは単なるブランドと化したのではないか?願わくば、もうこれ以上「盆栽」の自慢話は聞きたくないですね。
「映画生活」という映画紹介サイトであらなさんという方のジブリアニ
メの批評を読んで「なるほど!」と思いましたので紹介したいと思います。
以下です。
「最近のジブリ映画を観て思うことなんだけど・・
ジブリ屋という花屋があった。そこのオヤジさんはすてきな人で、花屋にはいつも、赤や黄色や青やとにかくいろんな色の、いろんな形の花がたくさんあった。こども達はオヤジさんがお花で作るちょっと変わった動物が大好きで、そこの花は見ているだけで楽しくて、とってもすてきな気持ちになれたので、大人達もその花屋に行くのが大好きだった。
何年かすると店に「もののけ」という盆栽がおかれた。みんなは「オヤジさん盆栽も始めたんだ。」と思ったけれど、お店にはまだ大好きな花がたくさんあったから気にする人は少なかった。
しばらくすると「千尋」というも盆栽もおかれた。「もののけ」も「千尋」も、誰が見ても見事な盆栽でそれは立派だったけど、みんなはその廻にあるお花が相変わらず大好きだった。
ある時お店に行くと、店の真ん中に「ハウル」という盆栽がおかれ、その横にオヤジさんが立っていた。オヤジさんは「どうだこの盆栽はすごいだろう。」と「ハウル」のどこが素敵なのか、作るのはそれは大変だったこと、でも見事に立派にできてとっても満足していることをお店に入ってくる人みんなに話していた。「ハウル」は立派な盆栽でそれはわかるんだけど、こども達は本当はオヤジさんが作る変わった花の動物が見たくて、大人達はいろんな色のお花が見たくて、でもオヤジさんは盆山の話をやめようとしないからみんなはちょっと寂しくなってきた。
オヤジさんの息子が自分の作った花をお店に出した。みんな若い息子の花は以前のジブリ屋のような色とりどりの素敵な花だと思ってお店に出かけた。でもそこにあったのはやっぱり「ゲド」という盆栽で、息子も横に立って説明をしている。立派なところ、それとオヤジさんの盆栽とどこがどう違うのかを。
気がつくとジブリ屋の店先には盆栽だけが並んでいて、店の奥にはきれいな花が見えるんだけど、どんどん、どんどん入りづらくなってしまって、みんなとっても寂しくなった。
最近のジブリ映画を観ると、晩年の黒沢作品にイメージがダブる。
「どうだ、すごいだろう。」と。
「巨匠」の作品が見たい訳じゃないのに・・」(「救いが欲しかった。(あらな)」)より。
いかがでした?
花屋さんにある日置かれた「盆栽」というのが言い得て妙ですね。
「盆栽』に凝り出したのはいいが蘊蓄(うんちく)を語り出すオヤジに違和感をいだき辟易していくかつての客達。そのことに気づかないオヤジ、そして、よせばいいのにはじめから盆栽作りに手を染めてしまった息子。ジブリは単なるブランドと化したのではないか?願わくば、もうこれ以上「盆栽」の自慢話は聞きたくないですね。