私はインプラント治療に20年以上関わっています。
なので、恥ずかしながらブレードの経験もありますし、サファイアの経験も少ないですがあります。
全て実地体験で自分で知っています。
幸い私が関わったこう言う前世代のインプラント患者さんの治療は、大きなトラブルもなく無事過ごしていられるようですが、かつてのこれらのインプラントの散々な成績は、今や肌で知る人も数少なくなって、皆文献上のお話ばかりです。
怖いのは、こう言う文献上でしか知らない方々の、発言です。
所謂、論文、論文とお題目のように繰り返し、では実際の臨床上ではどう応用させるのかと問えば、出来ませんとしかならないのです。
しかし、臨床の現場では、そうは行かない事ばっかりです。
過去を手繰れば治療方法が分るなら、ルネッサンの時代に戻る話になりかねません。
どんな場合でも、新しい治療方法は実績のない所、実際の現場患者さんの苦しみをを解決して差し上げたくて、悩み苦しむ医療人達が創意工夫しながら生み出して来たものなのです。
勿論、呪いのようなものとか、余りに突拍子もないものは拙いと思いますが、科学的、医学的、生物学的類推からこうではないかと言う治療方法まで否定し中傷するのは異常であると、私は指摘します。
しかもインプラント界自体が激動の時期であり、変化が激しい時代にあって、古めかしい論文がどれ程役に立つのか?
生物学的法則、ルールは十分に認知され始め、それがどの論文であるか、皆が承知している、すなわち教科書化している事実で、それは一定の役割を果し、学問として固まってくれるのです。
学問として固まって行く事と、臨床の現場では、齟齬が生じてしまう事は当然なのです。
超ベテランのDRがよく言います。
教科書通りじゃないと患者さんを責める馬鹿がいる、どんな場合でも正しいのは患者さんで教科書なんて時間と供に書き換えられて行く定めなのに。
所が、現実にいまだに頭が固いというのか、教えられた事に忠実と言うのか、私に言わせれば自分で責任を持って創案する事を放棄しているとしか思えないDRが、苦労をして色々創案するDRにすぐ鬼の首でも取ったかのように、論文は?根拠は?と非難するのです。
何でもかんでも無理やり解決させようと、無茶苦茶な事をしている訳でもない方に、失礼な事を年長と言うだけで言ってくる者が絶えないのです。
困った者です。
論理的に討論する事と、単なる中傷とが区別が出来ないようです。
議論するならもっと話し方が違う筈なのですが、彼らはそう言う議論が苦手のようです。
そう言う方々には、ぜひ海外の学会等に参加して頂いて、その論文を書いているDRの実際、そして議論の仕方等を実地で見て頂きたいものです。
私は決して論文を軽視する者ではありませんが、かと言って学会等で今度アクセプトされたとして出て来るのを実際で見ていると、国内での情報の狭さを感じない訳にはいかないのです。
繰り返します。
論文は決定的に現場よりも遅くなる、だから最先端領域では力にならない事も多い。
だが、定説を決めるお役目はある。
それだけのものでしかありません。
患者さんにまで根拠論文を渡す事をしている方は、自身の臨床結果の積み重ねに自信がないのか?との謗りを受けるでしょう。
頭の切れる患者さんなら、その論文を書いているDRと先生は同じレベルの腕なのですか?と質問しかねないでしょう。
結局、いつも言うように、DR個人の成績でしか何も語れないのです。
私が出したPRDでの発表でも、私があそこまで出せる結果でしかなく、私より優れた方ならもっと良い成績を出せるでしょう。
逆は言うまでもありません。
論文、エビデンスの持つ怪しさ、あやふやさ、ご理解頂ければ幸いです。
所詮、腕は個人の資質でしかないのです。
若いDR達に言いたい事は、だから自分の結果を地道に積み上げて記録し、常に振り返り、方向性を探り、平行して世界の動向を学んで欲しい、と言う事です。
誰に師事せずとも、それだけでも相当上のレベルの到達出来ると、今はそう言う時代、ネットで世界と繋がっている時代であると信じます。
若い方々へ、野心を抱き、頑張って下さい。
煩く言って来る年長者なんて気にするな!
学びたい方は、見学を受けていますので、お問い合わせ下さい。
なので、恥ずかしながらブレードの経験もありますし、サファイアの経験も少ないですがあります。
全て実地体験で自分で知っています。
幸い私が関わったこう言う前世代のインプラント患者さんの治療は、大きなトラブルもなく無事過ごしていられるようですが、かつてのこれらのインプラントの散々な成績は、今や肌で知る人も数少なくなって、皆文献上のお話ばかりです。
怖いのは、こう言う文献上でしか知らない方々の、発言です。
所謂、論文、論文とお題目のように繰り返し、では実際の臨床上ではどう応用させるのかと問えば、出来ませんとしかならないのです。
しかし、臨床の現場では、そうは行かない事ばっかりです。
過去を手繰れば治療方法が分るなら、ルネッサンの時代に戻る話になりかねません。
どんな場合でも、新しい治療方法は実績のない所、実際の現場患者さんの苦しみをを解決して差し上げたくて、悩み苦しむ医療人達が創意工夫しながら生み出して来たものなのです。
勿論、呪いのようなものとか、余りに突拍子もないものは拙いと思いますが、科学的、医学的、生物学的類推からこうではないかと言う治療方法まで否定し中傷するのは異常であると、私は指摘します。
しかもインプラント界自体が激動の時期であり、変化が激しい時代にあって、古めかしい論文がどれ程役に立つのか?
生物学的法則、ルールは十分に認知され始め、それがどの論文であるか、皆が承知している、すなわち教科書化している事実で、それは一定の役割を果し、学問として固まってくれるのです。
学問として固まって行く事と、臨床の現場では、齟齬が生じてしまう事は当然なのです。
超ベテランのDRがよく言います。
教科書通りじゃないと患者さんを責める馬鹿がいる、どんな場合でも正しいのは患者さんで教科書なんて時間と供に書き換えられて行く定めなのに。
所が、現実にいまだに頭が固いというのか、教えられた事に忠実と言うのか、私に言わせれば自分で責任を持って創案する事を放棄しているとしか思えないDRが、苦労をして色々創案するDRにすぐ鬼の首でも取ったかのように、論文は?根拠は?と非難するのです。
何でもかんでも無理やり解決させようと、無茶苦茶な事をしている訳でもない方に、失礼な事を年長と言うだけで言ってくる者が絶えないのです。
困った者です。
論理的に討論する事と、単なる中傷とが区別が出来ないようです。
議論するならもっと話し方が違う筈なのですが、彼らはそう言う議論が苦手のようです。
そう言う方々には、ぜひ海外の学会等に参加して頂いて、その論文を書いているDRの実際、そして議論の仕方等を実地で見て頂きたいものです。
私は決して論文を軽視する者ではありませんが、かと言って学会等で今度アクセプトされたとして出て来るのを実際で見ていると、国内での情報の狭さを感じない訳にはいかないのです。
繰り返します。
論文は決定的に現場よりも遅くなる、だから最先端領域では力にならない事も多い。
だが、定説を決めるお役目はある。
それだけのものでしかありません。
患者さんにまで根拠論文を渡す事をしている方は、自身の臨床結果の積み重ねに自信がないのか?との謗りを受けるでしょう。
頭の切れる患者さんなら、その論文を書いているDRと先生は同じレベルの腕なのですか?と質問しかねないでしょう。
結局、いつも言うように、DR個人の成績でしか何も語れないのです。
私が出したPRDでの発表でも、私があそこまで出せる結果でしかなく、私より優れた方ならもっと良い成績を出せるでしょう。
逆は言うまでもありません。
論文、エビデンスの持つ怪しさ、あやふやさ、ご理解頂ければ幸いです。
所詮、腕は個人の資質でしかないのです。
若いDR達に言いたい事は、だから自分の結果を地道に積み上げて記録し、常に振り返り、方向性を探り、平行して世界の動向を学んで欲しい、と言う事です。
誰に師事せずとも、それだけでも相当上のレベルの到達出来ると、今はそう言う時代、ネットで世界と繋がっている時代であると信じます。
若い方々へ、野心を抱き、頑張って下さい。
煩く言って来る年長者なんて気にするな!
学びたい方は、見学を受けていますので、お問い合わせ下さい。