私の直方の風景

私の住んでいる直方の好きな風景を紹介します。

●香春岳;「青春の門」の舞台、烏尾峠よりの風景

2016年06月16日 15時02分32秒 | 郷土の歴史
熊本~大分地区の地震災害のお見舞いと早期の復旧をお祈り申し上げます。

香春岳;「青春の門」の舞台、烏尾峠よりの風景

五木寛之の大作である「青春の門」の第一部・「筑豊編」冒頭は、
『香春岳は異様な山である。けっして高い山ではないが、そのあたえる印象が異様なのだ・・・・・』
で始まります。
この小説や、映画のファンでもある私ですが、烏尾峠から田川に入る際に形容された
上記の香春岳の姿を私なりに味わってみたいと思い遠望してみました。
もちろん、小説の書かれた時代と今の風景は全く異なっており、遠望する町並みも違いますし、
特に香春岳の一の岳は、石灰石の採掘で、開発前は最も高い山であったそうですが、
今は、すっかり低くなり、ベンチカット方式で、平らになっているので、随分印象も異なります。
小説(1969年)や映画(1975年)に描かれた頃の光景、は、グローリーホール方式で、採掘され、
斜面がえぐり取られたような、高さもさらに高いレベルでした。
そして、昭和初期の未開発に近い状態も参考にして、想像力をたくましく働かせて見ました。

1.烏尾峠からの筑豊盆地に聳える香春岳です。
「青春の門」の第一部・筑豊編の冒頭の『香春岳は異様な山である。・・・』を想像してみました。
ウ~ン、私としては、いつも見慣れているので、見る場所が変わっても、どうしてもそんな印象には
なりません。初めて見る人や、見る人の様々な心の風景を反映して、石灰岩の山特有の
いきなり尖った形状から、そのように異様に見えるのでしょうね。






2.かっての香春岳です。昭和初期の一の岳の原形をとどめる姿です。




3.最近見た『青春の門』DVDのケースの画像です。
40年前の映画の「タエ役の吉永小百合」と、背景の香春岳です。
香春岳の斜面が、石灰石採掘用のグローリーホール方式で3つほど、穴が開いて見えます。
このボタ山は、夏吉の三井田川の六坑です。今は木々に覆われた普通の山並みに見えます。
*映画のロケ地には、第二豊州ボタ山が使用されています。今では運動公園になっています。


4.そして、今の平地レベルから見た、香春岳です。




40数年前、あるいはそれ以上前に見ると「香春岳は異様な山である。・・・」となるのかなあ・・・
という風にも感じました。特に昭和初期の原形を留める白黒写真のイメージには、感銘を受けます。

参照;◎『青春の門・筑豊編』の舞台 2015年10月27日

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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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6 コメント

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昭和50年前後 (関東の誠)
2016-06-17 20:38:44
こんばんは。

高校の友人に勧められて筑豊篇を読んだ頃に海援隊が「母に捧げるバラード」をヒットさせ、映画「幸福の黄色いハンカチ」で夕張炭鉱を訪れるキャラクターを演じたのが、筑豊ゆかりの高倉健さん、映画「青春の門」に出場した桃井かおりさんに、海援隊の竹田鉄矢さん…。
ほぼ同じ時期に飯塚という名前の友人が
田舎が筑豊(直方及び遠賀川東岸に近い現八幡西区)の私に対して親近感をおぼえると言ってきました。(この友人と私は東京生まれで神奈川に転居、神奈川時代に高校の同期でした。)
あくまで偶然で“こじつけ”ではありますが、筑豊、炭鉱、福岡を意識せずには生きられず、秩父の武甲山をまだ見ぬ香春岳と思う様になったと考えています。 昭和50年前後、香春岳を読むことが出来る関東人が多かった気がしますが、今ではずいぶん少なくなってしまいました。
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香春岳あれこれ (権太楼)
2016-06-17 23:05:23
香春岳は福智山と並んで、私の「故郷の山」と言える山です。なぜなら私の生家からはこの二つの山が見えるからです。と言うことは、二つの山を見ながら育ったと言うことなのですが・・。
そういう私にとって香春岳は普通の山で、五木寛之も「そのあたえる印象が異様なのだ」と書いていますが、きっと初めて見た人達が異様な印象を持つのでしょう。
香春岳の麓に位置する高校に通い、保護者がそのセメント会社で働く友人も多く生まれ、いろんな角度の香春岳を見ました。近くで見る香春岳は迫力がありましたよ。
30代半ば、小倉北区に住んでて篠栗勤務になった頃、毎日車で帰る時、烏尾峠に近づくと、「青春の門」を頭に思い浮かべてましたよ。やはり、私の中の香春岳は映画「青春の門」のポスターにある吉永小百合の背後に映っている香春岳であり、今でも私の心の中にあります。
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青春時代の想い出 (nonbiri-arukuyama)
2016-06-18 21:26:54
(関東の誠)さま、こんばんは!
素敵な想い出を有難うございます。 (関東の誠)さんにとって、人生の
大事な節目での想い出、特に若い頃の多感な時期の、福岡~
北九州~筑豊とのご縁が、ひとつのバックボーンになっているのですね。
私にも共有出来る同じような思い入れがありますよ(^_^)/~
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故郷賛歌 (nonbiri-arukuyama)
2016-06-18 21:48:40
(権太楼)さま、こんばんは!
「故郷の山々」~香春岳、福智山への想い、本当に素晴らしいお話を、
有難うございます。(権太楼)さまの、ふるさと賛歌の唄が聞こえてきそうです。
時がたち、原風景が大きく変化しても、幼い頃から今日まで、成長する時々に
応じて、時には励まされ、時には苦楽を共にし、変わらない強い信頼関係で
築かれた友達のようですね。
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香春岳・五木寛之について調べました。 (権太楼)
2016-06-20 11:05:41
「青春の門」にも書いてましたけれど、香春岳の異様さ、及び「田川の話が書かれた本、あったよな」って気になってて今思い出して読みました。文藝春秋社から出ていた「にっぽん漂流」(昭和45年発行本)でした。
「続・Y歌を聞きに行く(筑豊)」の36Pに「しいていえば、その地形全体の異様さで有り、その背景にそびえるきかいな山容のかもし出す雰囲気なのである。」と書かれ、その後、香春岳の様子が描写されています。
その他、「深夜草紙」などのエッセイ本に香春岳の話が出てきます。
田川・筑豊といえばやはり五木寛之、その他、野坂昭如も筑豊の暗いルポを書いてます。そういえば、林芙美子の放浪記にも直方が出てくるのですよね。
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香春岳への魅力と興味 (nonbiri-arukuyama)
2016-06-20 23:20:57
(権太楼)さま、こんばんは!香春岳に関わる各種著作物のご紹介
有難うございます。随分いろいろな本に書かれたものですね。
それだけに、香春岳というのは、万人の興味を持たせ、語らせるような
魅力的な容姿なのですね。
*林芙美子は、1914年(大正3年)11歳の頃に、
炭鉱人への行商をした両親に従って直方に半年間ほど滞在しています。
林芙美子は、放浪記の中で、直方について「・・・不透明なあくびをしているような町・・・」
と表現しています。
また、・・・母は多賀神社のそばでバナナの露店を開いていた。無数に駅から流れて
来る者は坑夫の群れである。一山いくらのバナナは割によく売れていった。
アンパンを売りさばいて母のそばへ籠を置くと、私はよく多賀神社へ遊びに行った。
そして、大勢の女や男達と一緒に、私も馬の銅像に祈願をこめた。
いいことがありますように。・・・・などと記しています。
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