きょうは二十四節気の「立冬」です ・・ 立冬とは、冬の始まりのこと
「立」には新しい季節になるという意味があり立春・立夏・立秋と並んで季節の大きな節目です
(これらを四立(しりゅう)と言われています)
朝夕冷え込み、日中の陽射しも弱まって来て、冬が近いことを感じさせる頃
木枯らし1号や初雪の便りも届き始めるころでもあります
(木枯らし1号は先月29日に近畿地方で、初雪は先月中旬に北海道で観測されています)
暦便覧も「冬の気立ち始めていよいよ冷ゆれば也」と説明しています。
立冬を過ぎると、初霜が降りて冬の佇まいへと変わるころともいえます
昨今の急な冷え込みはこの季節にピッタリなのかも知れませんネ
このように寒さが迫ってくるこの時期に収獲される食欲の秋にピッタリなものと言えば・・・
真っ先に思いつく食べ物といったら「さつま芋」ではないでしょうか・・?
そんな中でも、関東で有名なのが埼玉県川越地方の「川越イモ」でしょう・・。
そのような川越イモのブランドがいつから、どんな背景で出来上がったのか知りたいもの
川越イモ友の会の“山田事務局長”に確認した人がいらっしゃいました。
上記の図のように、川越でサツマイモが初めて栽培されたのは江戸時代の1751年
「現在の所沢市にあたる南永井村の名主、吉田弥右衛門が当時の栽培先進地だった
上総国志井津村(現・千葉県市原市)から種芋を取り寄せ、試作に成功した」と山田さん
1735年に蘭学者“青木昆陽”が小石川養成所の薬園でサツマイモの栽培に成功して以来
関東各地でサツマイモ試作ブームが起きたんだそうです・・。
当時サツマイモは飢饉に備えた救荒作物だったようだ? (私の育った実家もその類)
そんな川越イモがおいしい芋の産地として名をはせるようになったのは、荒川支流の新河岸川の
存在が大きい!と再び山田さん。 1800年ごろになると、砂糖の高価で甘い食べ物が少ない
中、焼き芋が江戸の庶民の間で流行したそうです。重くかさばり陸路輸送が難しいサツマイモを
江戸の町に運ぶのに、物流拠点だった川越と江戸を結ぶ新河岸川の舟運が使われた・・。
消費が増え、質も良かったため、1830年ごろの諸国名物番付にはサツマイモの代表産地として
川越地方が記載されたといわれているそうです。
当時・焼き芋の店では川越イモを“栗よりうまい十三里”と表現したそうです?
江戸と川越の距離である13里を「9里(+)4里」と「栗より」をかけて庶民に宣伝したという
説もあるそうですョ? 東京都内には新河岸川の舟運を使った芋問屋がルーツの「川小商店」
(東京・台東)が今も残っているそうです。
川越イモの産地は、厳密には江戸時代の川越藩領とその周辺の村々を指したそうですが・・
現在、約30のサツマイモ農家がつくる三芳町いも振興会(埼玉県三芳町)では、平地林の落ち葉を
堆肥に使い芋を栽培する伝統農法を守り続けているそうです。その伝統が種が「紅赤(べにあか)」
この紅赤はサツマイモの女王と呼ばれていて栽培が非常に難しいといわれている品種だそうだ
甘さ控えめで風味が良く、天ぷらにすると右に出る品種はない!と、農家さんは強調している
多くの農家は自宅や直売所で販売し、5㌔㌘1800~2000円だとか・・・。
紅赤は12月から来年2月にかけて旬を迎えるといわれているそうですョ・・!?
川越では芋の旬の10月と「十三里」の数から10月13日を「サツマイモの日」としていて
「川越さつまいも地蔵尊」のある妙善寺では芋に感謝をささげる「いも供養」が毎年あって
農家や地域振興会団体が川越いもの歴史や文化を学ぶイベントなどを開いているそうです。
農林水産省によると、埼玉県のサツマイモの2014年度の生産量は5550㌧で全国で13位。
ただ「市内の芋菓子店の数では世界の都市の中でも屈指」なんだそうです・・!
実は我が家はサツマイモ農家でもなんでもありませんが菜園で栽培しています
きょう今年の収穫作業を済ませてきました。 品種は3種(紅あずま・紅かおり・ムラサキ)
一番大変なツル切り作業 掘り起し
掘ったばかりの芋 ムラサキ芋
今年のできは・・マズマズ?? [ムラサキ芋と紅あずまは良 紅はるかは不作でした]
川越イモの「紅赤」ほどではありませんが、素人作ながらおいしいと思っています。
「立」には新しい季節になるという意味があり立春・立夏・立秋と並んで季節の大きな節目です
(これらを四立(しりゅう)と言われています)
朝夕冷え込み、日中の陽射しも弱まって来て、冬が近いことを感じさせる頃
木枯らし1号や初雪の便りも届き始めるころでもあります
(木枯らし1号は先月29日に近畿地方で、初雪は先月中旬に北海道で観測されています)
暦便覧も「冬の気立ち始めていよいよ冷ゆれば也」と説明しています。
立冬を過ぎると、初霜が降りて冬の佇まいへと変わるころともいえます
昨今の急な冷え込みはこの季節にピッタリなのかも知れませんネ
このように寒さが迫ってくるこの時期に収獲される食欲の秋にピッタリなものと言えば・・・
真っ先に思いつく食べ物といったら「さつま芋」ではないでしょうか・・?
そんな中でも、関東で有名なのが埼玉県川越地方の「川越イモ」でしょう・・。
そのような川越イモのブランドがいつから、どんな背景で出来上がったのか知りたいもの
川越イモ友の会の“山田事務局長”に確認した人がいらっしゃいました。
上記の図のように、川越でサツマイモが初めて栽培されたのは江戸時代の1751年
「現在の所沢市にあたる南永井村の名主、吉田弥右衛門が当時の栽培先進地だった
上総国志井津村(現・千葉県市原市)から種芋を取り寄せ、試作に成功した」と山田さん
1735年に蘭学者“青木昆陽”が小石川養成所の薬園でサツマイモの栽培に成功して以来
関東各地でサツマイモ試作ブームが起きたんだそうです・・。
当時サツマイモは飢饉に備えた救荒作物だったようだ? (私の育った実家もその類)
そんな川越イモがおいしい芋の産地として名をはせるようになったのは、荒川支流の新河岸川の
存在が大きい!と再び山田さん。 1800年ごろになると、砂糖の高価で甘い食べ物が少ない
中、焼き芋が江戸の庶民の間で流行したそうです。重くかさばり陸路輸送が難しいサツマイモを
江戸の町に運ぶのに、物流拠点だった川越と江戸を結ぶ新河岸川の舟運が使われた・・。
消費が増え、質も良かったため、1830年ごろの諸国名物番付にはサツマイモの代表産地として
川越地方が記載されたといわれているそうです。
当時・焼き芋の店では川越イモを“栗よりうまい十三里”と表現したそうです?
江戸と川越の距離である13里を「9里(+)4里」と「栗より」をかけて庶民に宣伝したという
説もあるそうですョ? 東京都内には新河岸川の舟運を使った芋問屋がルーツの「川小商店」
(東京・台東)が今も残っているそうです。
川越イモの産地は、厳密には江戸時代の川越藩領とその周辺の村々を指したそうですが・・
現在、約30のサツマイモ農家がつくる三芳町いも振興会(埼玉県三芳町)では、平地林の落ち葉を
堆肥に使い芋を栽培する伝統農法を守り続けているそうです。その伝統が種が「紅赤(べにあか)」
この紅赤はサツマイモの女王と呼ばれていて栽培が非常に難しいといわれている品種だそうだ
甘さ控えめで風味が良く、天ぷらにすると右に出る品種はない!と、農家さんは強調している
多くの農家は自宅や直売所で販売し、5㌔㌘1800~2000円だとか・・・。
紅赤は12月から来年2月にかけて旬を迎えるといわれているそうですョ・・!?
川越では芋の旬の10月と「十三里」の数から10月13日を「サツマイモの日」としていて
「川越さつまいも地蔵尊」のある妙善寺では芋に感謝をささげる「いも供養」が毎年あって
農家や地域振興会団体が川越いもの歴史や文化を学ぶイベントなどを開いているそうです。
農林水産省によると、埼玉県のサツマイモの2014年度の生産量は5550㌧で全国で13位。
ただ「市内の芋菓子店の数では世界の都市の中でも屈指」なんだそうです・・!
実は我が家はサツマイモ農家でもなんでもありませんが菜園で栽培しています
きょう今年の収穫作業を済ませてきました。 品種は3種(紅あずま・紅かおり・ムラサキ)
一番大変なツル切り作業 掘り起し
掘ったばかりの芋 ムラサキ芋
今年のできは・・マズマズ?? [ムラサキ芋と紅あずまは良 紅はるかは不作でした]
川越イモの「紅赤」ほどではありませんが、素人作ながらおいしいと思っています。