
JR中央線は、なんでこんなに路線が東西に真っすぐなんでしょうか・・? そう思いません?
そんな疑問を抱いている人は結構いらっしゃるのではないかと思いますが・・いかがでしょうか
中野から立川付近の市街地を延々と貫く約23㌔㍍の直線ルートができた理由とは何・・?
中央線の歴史に詳しい、江戸東京たてもの園(東京都小金井市)で中央線の企画展などを担当した、
“真下祥幸学芸員”に尋ねたところ、“証明する一次史料は残っていないんです”と語ったそうだ
ただ“様々な諸説が語り継がれているんですョ”と話してくれたそうです。
中央線の前身、甲武鉄道が明治時代に甲州街道沿いに蒸気機関車を引こうとした際に「煙が迷惑」
などと住民が反対し計画路線を移したという話しや、工事を担当した工部省の仙石貢氏が
地図にエイッと線を引いた!などと様々な説があるんだそうです。
「ただ、当時の社会を研究すると、いずれの説も考えづらいことが分かります」と真下学芸員。
計画当初の史料に住民反対のくだりがないうえ、「新宿~八王子で甲武鉄道が開業した1889年は
新橋~横浜の鉄道開通から20年近くたち、鉄道への抵抗感は弱まり経済効果が注目された」。
現に1890年に開業した日野駅を巡っては駅設置の請願運動があったほどだったそうだ。
当時の測量技術からも、仙石氏が線を引き適当に路線を決めるのも考えづらい!と推測
ではどんな理由が考えられるのか・・? 真下学芸員の分析は・・

“蒸気機関車の能力、燃料供給・土地買収などから地理的に最も合理的なルートを選んだ”と
線路のルートは甲州街道などより勾配差がなく、馬力が弱い機関車の弱点を克服できた。
開業時からあった国分寺・立川なぢの駅も、石炭と合わせ機関車を動かすのに必要な水を用水路
から供給する契約が成立した地域が選ばれたのではないかとも・・?
また沿線は畑ばかりで、民家が集積する街道沿いより用地買収がしやすく、建設費をなるべく
抑えるため直線になったのでは・・と推測しているそうです!
同じく中央線の歴史に詳しい鉄道博物館(さいたま市)の荒木副館長もこんな風に説明

“勾配など地理的条件・コスト面などから20㌔㍍以上の直線は作る側にとって最も理想なルート”
現在、中央線を運行するJR東日本広報部に聞いてみると下記のようなことでした。
“諸説あることは認識していますが社内で根拠を持って話せる人はいません”ということでした。
明確な証拠がないにしても100年以上前の鉄道建設の謎を想像する楽しみにつながるのでは・・
こんな思いをもつのも“○○鉄っちゃん”ならばのことかも知れませんネ~

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「まっすぐに一直線!」なんて、鉄道だけでなく“人の心”もそうあって欲しいですものです・・。
私共でも、そんな気持ちのこもった野菜ができればなぁ~と思って“土遊び”をしています
ただ私のそんな思い通りに作れればいいのですが・・頭の悪さと経験のなさでできていません
きょうはきのうに引き続き「草取り」と、庭先に植えた「ゴーヤーとメロン」へのネット張り



「草取りとネット張り」・・共に面倒な作業だが、いいものを得るために欠かせないもの
私共は一途に「無農薬にこだわっている!」ので、こんな面倒な作業がつきまとっていま~す!