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「盆栽村」新天地で活況

2023年11月16日 12時38分15秒 | 地域
  1923年の関東大震災を受け、東京の盆栽業者が埼玉県にまとまって移住し形成された「大宮盆栽村」を、
  多くの愛好家や観光客が訪れている。 にぎわいや業者の相次ぐ撤退など浮き沈みを経ながら、現在は若
   者や外国人のファンを取り込んで客層が拡大。 関係者は100年前の災害から新天地に活路を求めた
   先人に敬意を払い、盆栽村の発展を願っている。

 地元の業者らが2002年に出した記念誌によると、現在の東京
 都文京区周辺を拠点にしていた業者数人が、大震災を受けて新た
 な土地探しを始めた。関東ローム層のいい赤土で、水などの条件
 もいいとして2年後の1925年、現在の場所に7つの「盆栽園」
 による盆栽村を開いた。

  移住した盆栽園「曼青園」を紹介した書籍には、大震災で「見渡す限り焼け野原になったが、幸い園は焼
   けなかった」「敷地に近所の人が家財道具ごと避難してきたので、水をやれずに盆栽が枯れてしまった」
   との記述がある。  "田口学芸員”によると、昭和初期の最盛期は35の盆栽園で構成したが、戦争で男
   手を取られ、廃業する業者も続出した。 一方で高度経済成長期は、大震災を教訓に幅を広くした道路
   に、観光バスが列を作ったことも。
  「近年のにぎわいはこれまでと違う」。 大宮盆栽協同組合の"浜野理事長"は笑顔で語っている。 「若者
   や外国人たちに裾野が広がった」。 田口学芸員によると、美術館のフェイスブックの登録者6万人以上
   の約9割は外国人だ。 29年に開園した「九霞園」の"村田さん"は「盆栽村という、分かりやすい名前
   を付けてくれた先人たちに感謝したい」。
  「藤樹園」の園主でもある"浜野理事長"は「盆栽は育てる人の心が反映される。 リレーのように、盆栽を
   愛する人が増え、次の世代に受け継いでいってほしい」と話している。

   我が家の田舎の父親も大の盆栽好き。 残念ながら後を継げなかったです。

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