仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

捨てる努力を

2012年03月16日 | 日記
毎日のように地震があり、3日に一回くらい夜中に揺れます。今日の未明も2回地震があり、房総沖に大きいのが来ると脅かされているので、揺れがおさまるまで安心できません。

今日はウオーキングを止め、所要が早朝から車で出かけました。カーラジオをつけると卒業式の話題満載です。「子どもが幼稚園を卒園した。1歳児の時からお世話になってきたので、さびしい感慨を持った」とアナウンサーが投書メールを読み上げました。

私はラジオを聴きながら、その投書メールに誘発されて思ったことです。

子育ては、子離れの実戦でもあります。抱っこから、ハイハイ、歩く、高校卒業、就職と、親から離れていく努力です。そして結婚して独立します。

これは親子の間だけではない。私という一人称の上においても、死ぬための努力と言っては言葉がヘンですが、自分から離れていく努力があってしかるべきでしょう。

そして思ったことは、10数年前、当時、国立がんセンター医師のT先生から伺った、アーサーヤングのV字図のことです。

アーサーヤングのV字図とは、人は多くの自由をもってこの世に生まれる。ところが教育を受けて成長し、知識を得て、財産を得て、名誉を得ていく間に、そのプロセスの中でひとは、自由を失っていく。そしてどうにもならない苦しみに遭遇する。そこから逆に、今まで獲得してきた財産や名誉などを捨てていくというプロセスの中で、失った自由を獲得していく。それを図形で示したたものです。浄土真宗的に言えば、“廻心”を契機として自力から他力へ転換していくということです。

アーサーヤングの言う自由とは、“自分のへ執着からの自由”なのだと思われます。このアーサーヤングの得ることによって自由を失っていくという下降線から、捨てることよって自由を得ていくという上昇線に変わる、このV字図の考え方は、宗教的廻心ばかりではなく、一般の人生論についてもいえることではないかということです。

人生、ある時点に成ったら、捨てていく努力を通して、自分への執着から解放されていく方向へ向かう。ラジオを聴きながら思ったことです。
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人生の卒業式

2012年03月15日 | セレモニー
東京の日の出は5時52分とあります。午前5時は、東の地平線方向が、少し朝焼けの雰囲気がありだけで、まだ月が明るい。

歩きながら昨日(24.3.14)のことを思い出しました。公立中学校の正門前を横切ると「卒業証書授与式」という看板が出ていました。その看板を見て“最近は個人主義で卒業証書授与という人単位の表現となったか”という思いがよぎりました。

でも今、ネットで調べると、どうやら正式名称は“卒業証書授与式、略して卒業式”ではなく、文部科学省の見解は “卒業式”が正式だとのこと。しかし、「卒業式」よりも前に、「卒業証書授与式」っていう呼び方が広く使われていたらしいとありました。

さて歩きながら思ったことです。

「そうだなー、自分には学校などの卒業式は、もうないので、毎年、3月に一年を締めくくる卒業式を一人でやるか。…南無阿弥陀仏…、南無阿弥陀仏…、でも一声一声、南無阿弥陀仏と称えることは、その時その時が、平生業成(へいぜいごうじょう)(「平生に業事成弁(生きている平生に、往生の業事が、完成(成弁)する)」という意味)であり、一声一声がそのまま、それまでの人生を卒業の時なのだから、あえて卒業式をするまでもないなー。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」

それから5.6分、念仏を称えながら、有り難いなーという思いに中で、歩いていました。もうすぐ彼岸です。
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喪装

2012年03月14日 | セレモニー
去る11日(24.3)、政府主催の東日本大震災一周忌追悼式がありました。追悼法要と言わないところが政政府色で、「法」は仏教をさす言葉なのでしょう。

その夜のニュース番組で、美智子皇后さまが和服の黒喪装で出席されているのを見て、“これはめずらしい”と印象的でした。

美智子皇后さまは、秋の園遊会で和服をお召しになることもあるので、違和感はありませんでした。実父の葬儀でも和装をご着用されていたとのことです。

政府主催の行事では、何かお考えがあってのことかとも思われます。ちなみに昭和天皇が崩御された際は、当時の美智子様は洋装の黒喪服姿でした。これは大正4年の皇室令で、「皇族の葬儀の衣服として、洋装の喪服を黒」とされ、女性の場合は、透けない黒の詰襟長袖のフォーマル・ドレスに帽子に黒ベールを付けた姿です。


仏教では「法式故実」(ほっしきこじつ)という、伝統をかんがみて儀式作法を研究する分野があります。同様に公家故実、武家故実があり、これらを求めて有職故実(ゆうそくこじつ)といいいます。古来の先例に基づいた、朝廷や公家、武家、仏教界などの行事や制制度、風習、儀式、装束などを考察することです。

その有職故実に「衣紋道(えもんどう)」というものがあります。衣紋道とは、ごく簡単に言ってみれば十二単衣(じゅうにひとえ)や束帯(そくたい)などを着る方法を伝えるものです。これに則った衣装だけが皇室の伝統衣装です。

一般的に言う「和服」は、皇室および公家の衣装ではありませんでした。武家や町人の着るもので、皇族の伝統衣装は、束帯や十二単です。

これは同様に、僧侶が正式の場で紋付羽織袴を着用することにも、違和感があります。日本の伝統衣装は、それぞれの分野で、その分野ごとの正装を着分けるきめ細かさが、伝統なのでしょう。

喪服の黒色については、仏教界では喪装は「鈍色(にぶいろ)」(濃いねずみ色)装の装束です。宮中でも「忌色」は、「黒つるばみ」と「鈍色」です。


天皇の喪服は「錫紵(しゃくちょ)の御服」と呼び、厳密には「錫色(すずいろ)」で、濃いねずみ色で、「黒つるばみ」というのは、「どんぐりで染めた黒」という意味で、厳密には焦げ茶が極端に濃くなって黒になった色をさすようです。そして喪の期間が一定期間を超えるとか、関係の少し薄い場合は、「鈍色(にびいろ)」というグレーに少し藍のかかった色だそうです。
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既成宗教への風?

2012年03月13日 | 仏教とは?
誤字が多いので注意を受けることが多くあります。見直すときの注意不足です。
昨(24.3.12)読売夕刊に、本の販売週刊ベストセラー(3月4日紀伊国屋書店梅田本店調べ)が掲載されていました。

③に『ふしぎなキリスト教』(爪橋大三郎・大澤真幸著・講談社現代新書)、⑦に『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』(島田裕巳著・幻冬舎)が入っていました。

“これは既成宗教への風が吹いているのか”、とも思われます。ネーミングへの興味なら2書が同時にベストテンに入ることはないからです。少しこの風に対して要注意です。

『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』を購入しようと思いましたが、アマゾンの同書カスタマーレビューに、“人目をひきつけるタイトルであるが、その答えは「おわりに」に短く記されているだけである”とあり、これは看板に偽りありと止めました。

以下、アマゾンの同書カスタマーレビューからの転載です

興味を引いたのは曹洞宗の寺院の数。
14499寺。その数はセブンイレブンの店舗数13718点よりも多いのである。
その理由は葬式仏教の生みの親だからだそうだ。

タイトルにある質問の答えだけを知りたければ、最後の10ページを読めば十分です。「仏教宗派の謎」と小さく書いてある方がこの本の正しいタイトルだと思えばいいでしょう。まあ、中身とタイトルのズレという点でいうと、これでも幻冬舎新書の中ではマシな方かもしれませんが。ただし、中身はなかなか良いと思います。仏教伝来から今日にいたるまでの、日本の仏教の変遷がコンパクトにとてもうまくまとまっています。著者は既に多くの著作がある宗教学者。

禅宗は中国との交流が盛んで、中国語にたけた僧侶は外交や貿易での仲介役や医学書などの翻訳訳も果たした。意外にも葬式仏教の原型を生んだのは曹洞宗で、これが他の宗派にも広がる。

誰もが一度は疑問に思ったことがある、日本の仏教の宗派の特徴や違い、そしてそれらが生じた経緯をざっと理解するのに便利な本です。(以上)

タイトルのつけ方が、さすが幻冬舎というべきか、売るためには手段を選ばずというべきか。私の判断は、「これは立ち読みすべし」というものです。
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若者の参拝が多かった

2012年03月12日 | 日記
昨11日(24.3.11)は、東日本大震災から一年、一日満杯のメモリアルデーといった感がありました。未明のNHKラジオ深夜便“明日へのことは”は、講演会「自然災害と日本人」と題して宗教学者の山折哲雄(H24.2.5多賀城市で収録)のお話、見事な言葉の運びで、一言一句変えることなく、そのまま製本できる内容でした。

そしてラジオもテレビも震災一色でした。といってもテレビを見たのは、大河ドラマ「平清盛」だけでした。ドラマは、西行の出家する場面で、一人に武士が信念のゆらぎの中での、1つの身の処し方を示す内容で、震災に通じるものがありました。

午前中の法事を終え、午後(1:30~3:30)は築地本願寺で中央仏教学院通信学生のお勤めの指導でした。受講生が、隣の建物で2時46分からはじまる「東日本大震災一周忌法要」でお焼香したいとのことです。これ幸いと、法要開始時剋に指導を中断して、法要初頭15分間参拝してお焼香、また帰って指導。学習会を終えた後、法要に参加すると、ちょうど輪番の挨拶、そしてその後の布教使によるご法話を聞くことができました。

さて震災一周年で思ったことは、震災災害を取り巻く“絆”とは何かということです。マスコミは“絆”と讃え、同時進行で、各地のガレキ搬入拒否を報道しています。

マスコミが讃えている“絆”報道を見ていると、自分は身は安全地帯に置いておいて、災害地で難民に寄り添う。その安全地帯ががれきの搬入で犯されそうになると、絆どころではない。そのような構図に映ります。

「自分は身は安全地帯に置いておいて、災害地で難民に寄り添う」ことが悪いと言っているのではありません。「寄り添うこと」と「搬入の拒否」を、完全に分離させて、「絆を大事にしている」といった甘い部分だけを垂れ流しのように放映している部分が気になります。

絆を求めて動く若者の行動を、どうとらえるかといった核心に迫る報道があってもいいだろう。というのは、昨日の築地本願寺での一周忌法要、満杯の参拝でしたが、若者のが姿が半分を占めていました。私はその若者の姿の上に「信念のゆらぎ」、もう少し具体的に言うと“常識ってなんだろう”“本当に大切なんのはなんだろう”といった本物探しの行動ではないかという思いを持ちました。

宗教者は、その道案内人となるべきだろう。

法要のご法話は、10分ほどでしたが、法話の中で、ある32歳の主婦が新聞に投稿した記事を紹介していました。ネットで調べたものを、そのまま紹介します。

『お母さんの悲しい気持ちを、全部もらってあげるよ』

 「些細なことではあるが、納得できないことに不意に涙がでてしまった。 そんな私を見た4歳の長男が『お母さんの悲しい気持ちを、全部もらってあげるよ』と言った。慰めるでも励ますでもない、ただ寄り添って弱い私の心を小さな両手で受け止めようとするかのような言葉だった。悔し涙はいつしか感謝の涙に変わり、幾筋もほおを伝っては落ちた。 そして、思ったのだ。30年以上生きてきて私はこんなふうに人の痛みをまるごと受け入れようとしたことがあっただろうかと。 特に自分のこどもの、幼さゆえの小さな過ちに対して、まずしかることで正しさだけを押しつけていなかっただろうか。傷ついている子供の気持ちよりも自分の気持ちを優先させてはいなかっただろうか。 『お母さんは、あなたが悲しい時、あなたの悲しい気持ちをもらってないよね。ごめんね』と謝る私に『そんなことないよ』と言ってにこっと笑う息子。ただただ私を信じ切っているその顔に、許されていたのは、実は私だったんだと初めて気付いた。この日のことを忘れないでおこう、そう思った。」 (以上)

そして法話は、悲しみに寄り添うこのと大切さを話されたように記憶しています。
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