仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

今日が終われなければ明日は来ない

2010年12月23日 | 浄土真宗とは?
冬至の昨日は、雨のために一番おそい夜明けを体験できなかったが、今日は星空の中、冬至に準ずる夜明けに身を置くことができました。

歩きながら「ああ、これからは、日の出が早くなっていくことを楽しむことができる」と思った時、ふと方角と仏教の教えのことが脳裏をかすめ、15分ほど西方と示された浄土教の教えについて楽しみました。

「般若経」の常啼菩薩という求道者は東方に向かって旅をします。東は日の出る方角であり、一日の初め、物事の根源という意味があり、万物の根源を一切空と説く般若経の求道者が向かう方向としては、東方がふさわしいといえます。

「華厳経」の善財童子が文殊菩薩の智慧に導かれて南へ南へと旅をし53人の師に会って悟りを完成していきます。南は明るい方向だから善財童子の旅の方向としては南がふさわしいともいえます。

この2つの方向は、私が今朝感じた“日の出が早くなっていくことを楽しむ”といった希望を象徴した方向です。

ところが浄土教の浄土は西として示されています。今までは西の方角の意味づけは、「太陽も星も帰っていく方向で、すべてのものを摂め取るという願いの如来である阿弥陀如来の浄土の方角としては西がふさわしい」といった味わいでした。

ところが星空の中で思ったことは、希望の断念、今日が終わるといった“私が否定される”という方角です。今日の終わりが明日の誕生であり、私の希望の断念が、阿弥陀さまの願いに触れる時であり、自力の断念が他力への覚醒です。


浄土教において日が落ちる西方を理想の方角としていることは、すべてが帰ると言った情緒的なこともありますが、一日が終わるという事実の中に、終わることがもっている重要性を語りかけているようでもあります。

朝、ウオーキング中に思った一回想です。

また『仏説無量寿経』において東方の諸仏方が阿弥陀さまを讃嘆する説示がありますが、日が落ちることの中にこめられた大切なメッセージを、希望の象徴である東の諸仏方がほめたたえることも、なにやら大切な意味があるように思われました。
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