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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

名前に動物名が多い理由

2018年08月20日 | 日記
図書館の新刊コーナーに、NHKテレビの番組「人名探究バラエティー」を本にした【日本人のおなまえっ!②』があったので借りてきました。法話の話のタネになりそうなのは、【動物名字】です。本から紹介してみます。

馬場・熊田・蟹江、鰈崎・花烏賊・鴎端・蛸島・鱧谷・蜂巣・兎田・蛙石(かわずいし)・蚊爪(かがつめ)・獺口(おそぐち)・狼谷・鴇田・象坪・犀川・鱒沢・鮎川・鮒井・鯰江・目(えのめ)・鰤岡・鰯谷・鯖戸・鮭延・鯵坂・鰻池・鯨井(以上)

動物の名前のベスト5が掲載されていました。アバウトに転載してみます。

5位 貝 (細貝・須貝・磯貝・貝塚・貝沼ほか)
「縄文時代の人が貝を好きで食べていたわけではなくて、一番取りやすい海産物だったたからです。そして、海の近くの土地に貝がつく名字が多いんです」(森岡氏)
 
第4位は「鶴」。鶴岡、鶴見、鶴丸、鶴田、鶴谷などなど。
 「鶴は『鶴は千年、亀は万年』と言うように、おめでたい鳥ですよね。ですから、たとえば、鶴や鷺、島が飛んでくる田んぼを持つ人の名字も鷺田さん、烏田さんとはせす、ほとんどが鶴田さんとしました。そういうことで、烏のなかで鶴がつく名字が多くなったんです」(森岡氏)

 第3位は「猪」と「鹿」が同列で並んだ。「猪」がつく名字猪原さんや猪股さん、「鹿」は鹿野さんや鹿島さんがいる。
 野生の鹿と猪はもともと貴重なタンパク源? かつて日本人の暮らしは、大雨や日照り、水不足や冷夏など、気候の変化によって、しばしば食糧不足に見舞われていた。
そんななか、野生の鹿や猪は貴重なタンパク源になっていたのだ。当時の日本人にとって、いつ出会うかわからない野生の鹿や猪はごちそうだった。
 そこで、鹿や猪によく出会う場所は「鹿野」や「猪原」という地名がつけられた。そして、後にそこに住んだ人たちが、「鹿野」や「猪原」という地名を名字にしていったと考えられる。「博多近辺にも、鹿部山や猪野という地名が残っています」(佐藤さん)

2位 熊 、熊田・熊谷・熊沢・大熊・熊本・熊切ほか。

「『隈』という漢字は『すみ/くま』という読み方がありますが、奥まった場所とか、入りくんだところを意味します。名字につけられる『熊』はもともと「隈」で、狭く與まった地形につけられていたんです。熊沢さんなら、奥まった、入りくんだところにある狭い沢に『隈沢』という地名がつけられ、それが『熊沢』さんという名字になったと考えられます」(森岡氏)

それでは、なぜ「隈」を「熊」に変えたのだろうか?。
 「昔の日本人は熊にいいイメージを持っていたんです。名字にはいいイメージの漢字を使う傾向がありますが、『隈』という漢字には、欠点、短所という意味がある。それで、いいイメージのある熊に変えたのだと考えられます(森岡氏)
 
 富山の薬売りで知られる薬の行商。この薬売りこそ、熊の存在を日本全国に広めた可能性が高い。薬売りの発祥は室町時代。彼らは「熊の胆」という万能薬を全国津々浦々まで売り歩いていた。
 「薬売りは山のなかにはすごい生き物がいて、それを猟師が獲って、つくった薬だという口上をしていたのだと思います。それで、山には狼なんかよりはるかに恐ろしく、強い、熊という生き物がいる。そういうイメージができあがった。それにあやかって、熊を名字につけたのだと思います」(田中さん)
 慶長12年(1607年)に加藤清正が熊本城を築城した際、隈本は一国の府にふさわしくないと「隈」を「熊」に変えたとされる。
 「隈」の本来の意味は「大きい、盛ん」。そして、つくりの「畏」は「畏れる、怯える」という意味だ。 「隈」は「大いに畏れる」となる。清正はそのことを嫌って、猛獣の熊に改めたと伝えられているのだ。


1位 馬 。馬場・相馬・有馬・馬渕・馬渡・美馬・馬飼(馬を管理する人)ほか。
古墳時代に大陸から導入。蒸気機関の発明前は、馬が最大の動力源でした。
 有馬→馬を生産・所有する人、馬飼→馬を管理する人、馬場→馬の訓練・置き場
 古墳時代、馬のはにわには、鈴などの装飾品がつけられていて、ステ-タスシンボルだったことがわかります。(以上)

以上、法話のタネでした。
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